日本の美意識の一つ「侘び・寂び」精神を高めた人物と言えば千利休ですね。不完全の中にある美を追及していた利休。庭掃除にも「侘び・寂び」が存在していて、彼にとっての綺麗な庭とは、落ち葉のない地面ではなく、庭一面に落ち葉が広がっている状態だったのだそう。
今では世界にも知れ渡っている「侘び・寂び」の文化。しかし、現代の日本人にとって不完全さはただの悪でしかなく、「完全・完璧」しか許されない社会へと変化してきているように感じます。
職場でもミスなく物事を進めようと慎重に思考を巡らす社員を見かけますが、ハーバード大学医学大学院の臨床心理学者ジェフ・シマンスキー氏は、ミスを避けようとして頑なにルールを守ろうとすると創造性が枯渇すると指摘しています。
「創造性にはルールがなく、わかりやすい形もありません。入り組んでいるのです。創造性は柔軟な発想と落ち着きをもたらして、多少のミスをする余裕さえ生みます。確信につながって、ルールを守るのではなく、破る方向に働きます。」(ジェフ・シマンスキー氏)
ピクサー社の社長を務めるエドウィン・キャットマル氏は自社のアニメ映画について、初めから優れた作品はなく、むしろ初期段階ではすべてが最低レベルの出来栄えだと明言しています。良い映画を作るためには「駄作の過程」が必要なのだとか。
「ピクサーの映画は、初めは良い作品ではありません。私たちの仕事は、駄作から"駄作でないもの"へと変えることなんです。」(エドウィン・キャットマル氏)
冒頭に登場した千利休。豊臣秀吉にも仕えていた茶人でもありましたね。秀吉の命令によって作られた茶室には、秀吉が好んでいた朝顔が庭いっぱいに植えられていたと言います。ところが、ある朝秀吉が庭一面の朝顔を楽しみに足を運ぶと、すべての朝顔が捨てられていたのです。
不愉快な気分になりながら秀吉が茶室に入ると、そこにはたった一輪、竹の筒に挿した朝顔が飾られていました。不機嫌な秀吉に対して利休は一輪の朝顔を指しながら一言、「これが侘びでございます」と頭を下げたそう。
今一度、私たちは千利休の教えを思い出す必要があるのかもしれません。