20~60代の4人に1人が6回以上見たことがある映画というのが、宮崎アニメの「となりのトトロ」で、20年前から1年おきにテレビ放映されながら常に安定した視聴率を誇っているところからも、観れば観るほどに深みが増していく作品であることが分かります。
この映画では水田に風が渡っていくというカットのためだけに、“生半可ではなく”優れたアニメーターが2人ほど拘束されていたのだそうで、宮崎監督の映画に映し出される情景への思い入れは相当深いものであったことがうかがえます。
宮崎監督が自然を描くときは、もっといい表現方法がないかと手を尽くさずにはいられないと言いますが、それでも満足できない難しさを次のように語りました。
「実際に湖に風が吹かれてワアーッと立ち騒いでいるときの本当の風景と比べると、自分たちのやっていることは情けないなあと思います。」
大人になって都会で働いていると、ビル風などにさらされることはあっても本当の自然の風景からは遠ざかっていて、宮崎監督の言う情けなさを聞いても実感がわかないのに、そんな私たちが監督の表現しようとしている風景を見て、何度でも心が動かされてしまうのは、生物としての本能が働いているためなのかもしれません。
「平成」の名付け親と言われている思想家、安岡正篤が昭和の歴代首相をはじめ、三菱グループや住友グループなどの財界人を精神的に支えた教えの中にも、自然に人を重ね合わせた次のようなものがありました。
「枝葉が茂ると風通しが悪くなる。そうすると、そのために木が弱る。弱るから、どうしても根が『裾上がり』つまり根が浅くなってくる。そうすると生長が止まる、伸びなくなる。頭から枯れてくる。(中略)その頃から、いろいろの害虫がつく。人間もそうだ。」
宮崎監督は「紅の豚」を、当初ビジネスマンのリハビリになると考えつつ、映画を作っているうちに自分にもリハビリをしてしまったと言います。
簡単に頭も心もギュウギュウ詰めになってしまうのを避けられない私たちは、いつもどこかで浅い人間に向かうのを回避しようとしていて、風通しのよくなる術のようなものに、敏感に反応するようになっているのかもしれません。