ルイ・ヴィトンなどの高級ブランドは19世紀に身分の低い職人が王族のために仕立て上げたことから始まりました。その後、経済成長とともに増加する中流階級に利益を見出したブランド企業がマーケティングによって市場を拡大し、特に1970年代以降9割の人が自分の生活は中流レベルと認識する日本人は、企業の格好のターゲットとして映ったのです。
その結果、2000年代後半には、約40パーセントの日本人がヴィトンを所有していました。
ダライ・ラマ法王によるとお金で手に入れる20世紀の幸せは一時的であるため、幸せを感じるには欲しがり続けなければならず、21世紀は正反対の価値観に切り替える必要があると説きますが、マーク・ザッカーバーグと共にフェイスブックを創業したダスティン・モスコビッツは億万長者であるにも関わらず、身なりはカジュアルで自転車通勤、さらには慈善団体に寄付するために節約するのだとして、お金の使い方を次のように述べています。
「仕事のことを考える時は、何か人に奉仕すること、サービスすること、そして人間が好きな気持ちを表現する事を考えるんだ。もし今仕事を辞めてしまったら、何も奉仕できなくなるからね。」
ヨーロッパでは7割近くの人が「広告は嘘」と信頼しておらず、アメリカの多くの大企業のCEOが経歴をネットで検索されて新たな事実がわかり、辞任に追い込まれた事例などをふまえると、ソーシャルメディアによって個人も企業も可視化される世界では嘘や見栄は通用せず、人は自分にとって大事なものとそうでないものをこれまで以上に厳しく区別するようになるでしょう。
これまで高級ブランドは目前の利益や市場拡大を目標にコストを削減するため、中には素材の質を落としたり、嘘の申告をして値上げを正当化する企業も現れ、今では対局にあるファストファッションと手を組むことで生き残りをかけようとしていますが、その姿にはかつての高級ブランドが放っていた一流の輝きは失われ、利益のために犠牲にしたものを取り返すには手遅れの状態となっているのです。
ココ・シャネルは「贅沢の反対語は貧しさではありません。下品です」と言います。
億万長者が節約したお金を寄付する、次の時代の贅沢はもっと別のところにあるのかもしれませんが、もしかすると「人助け」ができるということ自体が、本当の贅沢なのかもしれません。