駅や図書館などで、「善意の傘」という無料で傘を借りられるサービスがあるそうです。
雨の日に傘がなくて困らないよう、善意で傘を共有するというサービスですが、55年に渡って続けてきた名古屋のある地下鉄の駅では、これまでに12万本以上の傘が貸し出されたものの、ほとんど返ってきていないといいます。
書籍「傘の自由化は可能か」の中では、埼玉県のある町で用意された1000本の善意の傘が1本も戻ってこなかったという話から、傘を返さなかった人の心理が次のように描写されていました。
「彼らはそれを捨てるわけにもいかないだろう。そして、誰かが訪ねてきたときに見られてしまっては恥ずかしいので、きっとだんだんと目に留まらないところに、奥へ奥へと押しこまれていく。そうやって、千本の善意は長い年月をかけて、いつかは消滅していってしまう。」
ペットボトルの水を、「喉が渇いたらコンビニで買えばいいか」というのと同じようにして、「雨が降ったらビニール傘を買えばいいか」、という気持ちで外出するという人が増えている今、ビニール傘の消費量は年間5500万本、傘全体の消費量の半分を占めているそうです。
善意の傘がうまくいかないことについて、「貸したら返って来ないもの 本、金、傘」というコメントも見られたといいますし、自分の傘ではないのに、返されないままビニールがくっついてしまってゴミとなるビニール傘はどのくらいになるのでしょう。
そんな大人たちの現状と相反して、まだ幼い子供にとって「傘をさす」というのは雨から自力で自分を守るという、自立への一歩であると、雨と心の関係を追究してきた心理カウンセラーの藤掛明氏は述べていました。
たとえば、絵本「あまがさ」(やしまたろう著)では、3歳の女の子がはじめて自分で傘をさして幼稚園に行く日の様子が描かれています。
親の傘の下にいる自分ではなくなって一人で歩くことを「おとなみたい」と感じたその子は、その日の帰り、忘れ物をよくする子だったのに、忘れずに傘を持って、迎えに来た親のもとにやってくるというストーリーで、そこには私たちが忘れ去ってしまった自分で傘をさすことで、はじめて自分で自分を守れた子どもの感動が映し出されています。
傘で芽生えた子供の自立心は、大人になってコンビニや誰かの傘に入れてもらうほうへと戻るより、次は誰かを自分の傘に入れてあげるほうへと進むもののような気がしますし、同じ「善意の傘」ならば、いつか誰かを傘に入れてあげられるような善意を取り戻したいと思います。