「食」という漢字は、「人」を「良」くすると書きますが、基本的に自分が食べたもの以外に、自分の体をつくる材料になるものはないため、何を食べるかという選択は、自分の生き方そのものと言っても過言ではありません。
人生の幸福という観点で考えた時、「メシがうまい」ということが、自分の地位や財産を超えて、大きなウエイトを占めていることは間違いありませんが、食べ物の値段を考えると、「美味しいから値段が高い」というわけではなく、「珍しいから値段が高い」という場合が少なくなく、明治学院大学経済学部の教授である神門善久氏も次のように述べています。
「お金や地位は、メシのうまさを保証しない。貧しい人や失意の人が、 家族の団欒の中でひと口のスープをすすって至福を得ることがある。どんな人にも、工夫次第で“ビル・ゲイツでもこれだけうまいメシは食えまい”と胸を張るような食事ができるはずだ。」
現在では、いわゆる世の中の勝ち組と言われる人達が低カロリーの野菜中心の食べ物を食べるのに対し、所得の低い負け組と言われる人達はファーストフードなどの低価格で高カロリーのものを選ぶ傾向にあり、日本人の食に対する意識が明らかに二極化してしまっています。
丁度、「ALWAYS 三丁目の夕日」に描かれていた1960年代は、お金はないけど、時間はたっぷりあって、午後6時には家族全員が集まり、家庭料理を食べるというのが当たり前の時代でした。
今の都会のライフスタイルでは午後6時に家族そろって食事をとるなど、夢のまた夢のように思えますが、あれから50年、60年が経って、世界の経済大国と言われた日本にも、少しずつ残業を減らし、休日を増やして、家族と一緒に家庭料理を食べようと思う人が増えているのは、とても興味深い動向とも言えるでしょう。
近代のライフスタイルはヤクザの世界より足を洗うのが難しいことは事実です。ただ、そういった世界から勇気を持って抜け出し、天才プログラマーになって資産を築かなくても、メシだけはビル・ゲイツよりも美味いモノを食べてやろうと考えるところに人生の面白さがあるのかもしれません。