大学進学が半数を占めるようになった今、子供一人にかかる教育費は、低く見積もっても1000万円を超えます。
インディペンデント誌やエコノミスト誌で経済関連の情報にかかわってきたポール・ウォーレス氏の言葉を借りれば、年金に頼ることが難しくなっていく中、子供を育てるコストがあがり続けている日本のような社会では、「子どもに法外な高値がつき、買い手が付かなくなっている」と言うのが 現状のようです。
しかも、大金を費やして学業を終えて就職をした子供には、「今の仕事に求められる学歴よりも、自分の学歴のほうが高い」という事態が待っているようで、経済協力開発機構(OECD)の調査の結果、学歴に仕事が見合っていないと考える人が23の参加国のうちもっとも多かったのは、日本なのだといいます。
お金をかけて高いスキルを持つ人ばかりが増えていますが、1935年生まれで戦後の貧しさを経験し、世界的に認められてきた大江健三郎氏と小澤征爾氏はそろって、子供という存在が自分の人生に現れたとき、自分の個人的な経歴や目標なんて関係なく、子供とともに生きることがエネルギーになったと語りました。
「共生というのは、こういうエゴイスティックな感情かと、はじめて分かった気もしました」と語るほど、かたくなに子供と一緒に生きてきた大江氏は、知的障害をもつ子供が音楽を通じて世界とコミュニケーションをとるようになったとき、「僕の仕事は終わったんだ」と感じたそうです。
息子をなくした経験を持つノンフィクション作家の柳田邦男氏は、命について深く考えることが現代人の日常に欠落しており、本当はいくつもの選択肢がある「いかに生きるか」という問題を、「何者として生きるか」と勘違いしてしまっていて、メディアに取り上げられるような輝かしいプロフェッショナルに自分を重ねるようになってきているといいます。
子供を持つことが減っていく社会の人たちは、「命とは」「生きるとは」ということをものすごく深く考えることが難しくなっているのかも知れませんが、「生きる」ことから逸れていくほど、「自分の仕事は終わった」とすべてを捨てられるほどの幸せは生まれてこないのかもしれません。