「山ガール」がもはや珍しくなくなり、ついに一昨年、「狩りガール」という言葉が生まれました。
女性で狩猟免許を取得した人の数は、2001年からの10年ほどで2倍に増えのだそうで、捕った動物をその場でさばくジビエのブームかと思いきや、シカやイノシシなどが食材として活用されているのは全体の捕獲数のわずか5パーセントに過ぎず、山林の中に仕留められたシカが大量に捨てられているというのを聞くと、狩りということの意味を考えさせられます。
東北地方・北海道で古い方法を用いて集団で狩猟を行うマタギは、捕った熊のすべてを使い尽くす技を持ち、肉は熊鍋、骨は湿布薬、胆のうは胃腸薬、脂は軟膏となり、糞までも条件がよいものは熱さましの薬になるそうです。
秋田県比立内で十四代目を継いだマタギの松橋時幸氏は、初めて熊を捕ったとき頭を過ぎったのは、「クマの毛の数万本の中の一本を狙う気持ちで撃て」と教わったことだったと言い、そうして間違いなく仕留めた熊をはじめ、山の生き物や山菜、薬草などを「山神(さんじん)様からの授かりもの」と大切にしてきました。
ヒグマのいる地に生きるアイヌの社会でも、熊は神々の中の主神であり、盛大にこの「神」を殺し、その肉を食べて血をすすり、そして泣いて霊をなぐさめるというのが、アイヌの人たちの祭りだといいます。
現代の狩りは、都会とのギャップを楽しんだり、山を食い荒らすシカの害を防ぐために後押しされているように思いますが、神聖な気持ちが薄れるほど、私たちは山にゴミなどのトラブルを持ち込み、山は私たちに恵みを授けるものではなくなっていくのではないでしょうか。
「自分たちの祖先は熊と少女が結婚して生まれた」という神話が残る森林大国のフィンランドには、自然享受権といって、誰でも自由に森に入って木の実を摘んだり、キノコをとったりする権利があり、また、「自分の分身」と決めた1本の木に夢を語り悲しみを打ち明けることもあるといいます。
日本では何でも「シーズン」を設けて、法律で行動を制限しようとしたり、ビジネスに絡めようとしますが、山が大きな危険を秘めているのだとしても、いつでも手の届くところに山がある暮らしことほど恵みを感じられるものはないのかもしれません。

フィンランド・森の精霊と旅をする - Tree People (トゥリー・ピープル) -
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- 発売日: 2009/05/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)