46歳で認知症と診断されたクリスティーン・ブライデンさんは、今から20年前、オーストラリアで初めて「認知症」であることを公表しました。
それは、人から恐れられる病気にかかっているという意味で、エイズの人がカミングアウトする時に感じたことがあるはずの気持ちと似ていたと言います。
今でも認知症には「自分が自分でなくなる」というようなネガティブな印象が強いですが、日本は2025年に認知症1000万人時代を迎えることになると言い、多くの人の行き着く先が認知症だというのが現実です。
認知症において私たちが間違ってはいけないのは、認知症になってもその人らしさはなくならず、人は認知症になると本当に自分らしくいられるようになるのだそうで、クリスティーンさんも認知症になったことで、過去の記憶や未来の心配から解き放たれたことは大きな幸運だとして次のように語りました。
「私たちの真の自己は、現在の中に生きている。これから起こるかもしれないことや、かつてよく起こったことについて心配しすぎると、私たちは外の表層の部分だけの自分になってしまう。それは本当の私たちではない。」
そもそも白血球の寿命は24時間しかないというように体は次々と新しい自分に生まれ変わっている中で「変わらない自分」は存在しません。
「いままでと同じ自分」にこだわっているのなんて、頭の中の「私」だけなのであり、忘れることによって人はようやく現在を経験することができるようになるのでしょう。
85歳以上の認知症は40パーセント以上を超え、認知症の人が認知症の人を介護する「認認介護」も急増している今、「徘徊だ」「万引きだ」と認知症を問題視するのも時代遅れなのかもしれません。
3人に1人が65歳以上という福岡県大牟田市は「安心して徘徊できる街」を目指しており、行方不明者の情報はタクシー会社や民生委員などのネットワークで共有され、市民に対しては、徘徊している人を街中で見つけたら「どうされました?」と声をかけるという体験型の訓練が毎年行われています。
実際に地域住民から、「いま認知症の人が道に迷っておられてお茶を飲んでもらっているよ」と情報が入ることもあるのだそうです。
「自分が自分でなくなる」の反対で「自分が自分になる」、人はボケて普通になるのだと認め、気ままな人間が出歩けるような社会があれば認知症はつらいことばかりではないのかもしれません。
左右を覚えることもせずに現場主義で行動している猫は年老いてボケてもわかりにくいのだそうですが、私たちも年老いたら気ままな猫たちのように「いま、ここ」を生きるという、ある意味理想とする生き方をできるようになるのですから。

日本で老いて死ぬということ―2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか
- 作者: 朝日新聞迫る2025ショック取材班
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2016/06/20
- メディア: 単行本