ダウンタウンの松本人志さんは、いまの世の中は社会も人もいろんな意味で極端になりすぎているとしてこんなことを言っていました。
「ちっちゃい子に『べろべろば~!』ってやったら笑うけど、あんまり思いっきり『べろべろばあ〜〜!』ってやると怖がって泣きますからねぇ。」
つまり、笑いもある一定の境界線を超えてしまうと、むしろ怖くなってしまうということですが、これは社会でも同じことが言えて、世の中が便利になりすぎると、むしろ心は不便になっていくのかもしれません。
面白いことに、公共交通機関が発達して便利になればなるほど、わざわざお金を払ってジムで運動する人が増え、定額で音楽が聴き放題な時代になったのにも関わらず、大きなプレーヤーとスピーカーを買って、レコードで音楽を聞くのが最近流行ってきたりと、社会が便利な方向に傾きすぎると、それをちょっと不便な方向に傾き返そうとする力が働くようです。
所ジョージさんによれば、世の中はただ便利であれば良いというわけではなく、むしろ、 “すごく”嬉しいとか、“すごく”美味しいという状態は人をダメにするのだそうで、ちょっと不便なほうが上手くいくとして、非常食を例に出しながら次のように言います。
「非常食が美味しいと非常の時以外にどんどん食べちゃって非常用にならない。マズいから、ずーっと取っておく、置いてある、スッポカされている。で、イザってときに『あ、そう言えばコレがあったな。これで飢えをしのごう』ってなるんです。」
よくデザインの世界では、「『余白』はあると要らないもの。ないと欲しいもの」と言われるように、人は何か不便なことがあるとそれを便利にしようとしますが、逆に、便利になりすぎると何か不便な要素が欲しくなるようです。
考えてみると、今まではひたすら不便な要素を潰すことによって豊かさを手に入れてきましたが、何もかもが便利になりすぎた現代においては、むしろ手間暇のかかる面倒くさいことを見つけることで豊かになるのかもしれません。