昔の田舎は牛や鶏の匂いが漂っていたり、都会でも映画館などはポップコーンやキャラメルが混ざった独特な匂いがするなど、一昔前まではどこへ行っても何かと臭いのが当然でした。
ところが生活水準が上がるにつれて臭いことは悪いことだと考えられるようになったため、家中のいたるところに芳香剤を置いたり、スプレーをかけたりすることが一般的になり、現代の日常生活では強い生活臭を嗅ぐ機会はほとんど無くなっています。
ただ一方で、このように生活の中から匂いを過剰に取り除いてしまうことによって、生きている限り絶対に発生する匂いまでもが敵視されるようになっているのではないでしょうか。
例えば、加齢臭はその一つだと言えます。もともと加齢臭とはおじいちゃんやおばあちゃんの匂いで、小さい頃に抱っこされたことがある人にとってはホッとする懐かしい匂いなのにも関わらず、今ではマイナスのイメージを持っている人がほとんどだと言えます。
昭和大学医学部の塩田清二教授によれば、匂いの情報は扁桃体と呼ばれる脳の部分で管理されおり、この扁桃体は人間の記憶をコントロールする役割も持っているため、匂いと記憶には強い結びつきがあるのだそうです。
実際、カレーの匂いを嗅ぐと小学校時代を思い出す人が少なくないように、あらゆる物の匂いと過去の記憶は紐付けされているため、匂いを安易に消す行為は過去の思い出を消すことになるのかもしれません。
昭和の文豪として有名な谷崎潤一郎は、久しぶりに実家に帰って家の匂いを嗅ぐことで子供の頃の記憶が蘇ってきて「我が家に帰ってきた」と実感が湧くと述べていましたが、もしそこに嗅ぎ慣れた実家の匂いがなければ味気ないはずです。
家にはその家庭独特の匂いがあって、そこに住んでいる人の体臭、ペットの匂い、そして昨日の夕飯の匂いなど様々な匂いが混ざることで生み出されるわけですが、その匂いこそが人が懐かしいと感じる一番の要素なのでしょう。
それにも関わらず、帰省して久しぶりに嗅ぐ実家の匂いがスプレーでかき消されていたら何となく寂しいですし、最近実家に帰らない人が増えているのは家から匂いが消えてしまったことが多少なりとも関係しているのかもしれません。
良い香りに包まれる生活も悪くはありませんが、その香りで自分の記憶や思い出まで無くさないように気をつけたいものです。