東日本大震災直後のころ、震災をきっかけにして海外に脱出した日本人はおよそ7万人にのぼったのではないかと言われています。
多くの外国人駐在員も日本を去って行きましたが、難民として日本にやってきていた外国人たちは、震災の現場にがれき撤去などの作業を手伝いにやってくると、沿岸部のすさまじい状況に動揺を隠しきれずにいた日本人ボランティアに、「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と語りかけ、率先して動いていたそうです。
今年、世界の難民の数は過去最高の6560万人に達し、日本で難民申請をする人の数も過去6年間、最多記録を更新し続け、昨年の申請数は1万人を超えています。
しかしながら、日本が昨年難民として受け入れた外国人の数はたった28人でしかありません。
首都圏で「帰宅難民」となった人が500万人を超えていたといい、“難民”という言葉が目立っていた2011年でも、日本が認定した難民の数は21人。その数はG7諸国で日本の次に受け入れ数の少なかったイタリアの1802人と比べても、桁が2つ違います。
記者の増田幸弘さんは、著書「棄国のススメ」の中で、震災後に海外に移住した日本人は確実に増えているけれど、移住の動機は放射能の問題よりも深く、震災を機に大きく変わらなければと思っていた人々が、何も変わろうとしない国に絶望したのだと述べました。
現在スロヴァキアで暮らしている増田さんは、異文化に見えている世界には言葉の問題はあっても、人の生きる社会に大きなちがいなどないとして、次のように語ります。
「考えてみれば、外国だからといって非日常であるはずはなく、どこにいようと人の暮らしはただの日常でしかない。外国に移り住むとはいっても、単に日常から日常へ移るにすぎなかった。」
実のところ、2011年末までの時点で、日本から脱出して外国に難民認定された日本人は176人もいるのだそうですが、難民の受け入れを固く拒んできたような日本が、将来もしも何万という難民を出したら、外国は快く受け入れてくれるものでしょうか。
長年、国連難民高等弁務官を努めてきた緒方貞子さんは、「人間は自分たちのもっているいちばん大事なもの、つまり生存とか生活をなんとかして守っていかなきゃならない」と言い、「政治がガタガタしても動かない社会が必要なんですよ」と語りました。
人が自由に移動し始め、100年後に自分の国が残っているのかもわからず、予測のつかないテロや災害で、誰もが全てを失って難民になるリスクを抱えている世の中です。
日本も、単位を「国」ではなく「人」と考えて、人の生存を優先する社会でなければ生き残ることはできないのかもしれません。