シンガソングライターのさだまさしさんの童話「おばあちゃんのおにぎり」には、さださんのおばあちゃんが中身も海苔もない塩おにぎりを、四角にもピラミッドにも握ってくれた話が出てきます。
もともとおにぎりが三角になったのは、山を神格化していた昔の日本人が、その神の力を授かるために山のような形にしたのが始まりなのだそうです。
また、おにぎりは“おむすび”と言いますが、作り方から生まれた名前だったのではなく、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)という古事記に出てくる神様の名前にある「産巣日」に由来しているともいわれます。
おにぎりの思い出にはなぜか、パンや麺にはない、どこか尊い感情がついてきますが、おにぎりの成り立ちをみてみればそれは当然のことなのかもしれません。
1995年に『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』という映画で、ダライ・ラマ法王とともにその日常が映し出され、注目を集めた福祉活動家の佐藤初女さんは、訪ねてくる人におむすびをふるまっていました。
目の前で自殺しようとした若い子にも、初女さんは「そんなバカなことしてないで、さあ、ごはんだよ」と接したそうです。
初女さんのところには総理夫人の安倍昭恵さんをはじめ、様々な人がおむすびを習いにやってくるのだそうで、一心におむすびを握ってきた初女さんは、手を合わせて祈ることが「正の祈り」ならば、おむすびを握ることは「動の祈り」なのだとして次のように言いました。
「アメリカで同時多発テロ事件が起こったときも、おむすび講習会に参加された現地の日本人の方はおむすびを握ったといいますから、おむすびを握るというのは、すなわち祈ることなのだと、つくづく感じました。」
今食べられているおにぎりは、“おばあちゃんの”とか“お母さんの”ではなくて“コンビニの”が多いのかもしれませんが、シンプルで飾らないおにぎりほど気持ちが伝わりやすい食べ物はないのかもしれません。
機械が握った真三角のおにぎりほど心を寂しくするものはなく、その一方で、手で握ったおにぎりは中身がなくたって、きっと何十年も語られるほどの栄養になるのです。