「半ケツとゴミ拾い」という、一度聞いたら忘れられない題名のこの本では、月30万円を仕送りしてもらって暮らしていた一人の大学生が、早朝の新宿でゴミ拾いを始めたことをきっかけに自立していく様子がありありとレポートされています。
その中にあったエピソードで、5月3日をゴミの日として日本全国でゴミ拾いをしようというイベントを開催したところ、参加した444人によって拾われたゴミが合計5トンにもなったという話がありました。
ゴミを拾うことや減らすことが素晴らしいというのは、溢れかえるゴミ問題が背景にあるからこそ通用する道徳なのは間違いなく、日本では一家庭が年間で1~2トンのゴミを出しているのだそうで、最近では家がゴミで埋まってしまっているような「ゴミ屋敷」もテレビ番組で取り上げられるようになっています。
実際にゴミ屋敷の清掃をする会社のスタッフとして働いたルポライターの村田らむさんによると、ゴミ屋敷ではゲーム機やちゃぶ台など同じモノが何個も出てくるのが当たり前で、「ゴミがある程度の高さになったらそこにカーペットを敷いて、その上にまた机とかを買い揃えて」というようにしながら出来上がったゴミの層がバームクーヘンのような地層となり、ものすごい高さに積み上がっていたりするのだそうです。
食べ物も服も本も、もともとは自分が欲しくて買ったものが「ゴミ」に変わり、人の幸せや安心感を奪っていくとして、村田さんは次のように語りました。
「貧しい国では手に入れることが難しいであろう物が部屋中にあふれている。 それらを全部捨てていく。断捨離なんていったら聞こえが良いけれど、やっぱり無駄だな……と思ってしまう。」
無印良品のアートディレクターでもあるグラフィックデザイナーの原研哉さんは、たとえ家が休息の場だといっても、無制限にだらしないことを許容するのがリラクゼーションというのは堕落なのではないか、と言います。
そして、茶の湯や生け花がものの少ない簡素極まる空間があるからこそ感性を刺激されるように、暮らしにも「空白」な空間があることで、必ず喜びが生まれてくると述べました。
「疲れたから明日にしよう」と片付けを先延ばしにし、「探すのが面倒くさい」と新しく買うというサイクルで生活する人が増えれば消費社会は終わらず、家の中、ひいては地球上がモノで覆われるようになり、人々の感性はどんどん鈍くなってしまうかもしれません。
昔の人はよく「生活に張りがある」と言いましたが、生き生きとした毎日を送るためにも、「ゴミ屋敷」を見てまだまだ自分は大丈夫と安心せずに、コンビニに寄らない習慣とセットで、片付ける習慣を大事にしなければなりません。