世間ではとにかく普通であることは負けで、個性を重視して自由を尊重することがすべてのように語られており、自由な発想とは型にはまらない、世間をひっくり返すようなものというイメージがあります。
元サッカー日本代表監督で現在は四国地域リーグFC今治のオーナーである岡田武史さんは、サッカーとは監督が選手にああしろこうしろと命令するものでないが、例えばこのタイミングであそこのゾーンを取ったら逆サイドも走り出すというような、日本独特の型をサッカーにも確立するべきだと次のように述べています。
「型っていうと『型にはめる』ってみんなイメージするんだけど、そうじゃなくて、共通認識みたいなものを持って、それを飛び出していく。だから自由な発想とか驚くような発想っていうのは、自由なところから出ないと思うんだよ。」
日本の伝統文化には「守・破・離」という考えがあり、これは師匠からの教えを基本としてしっかり身につけ、その上に個性を加味することでようやく創造の世界が開けるというもので、型というのは日本人を語る上で欠かせないものなのです。
例えば、漫画「ドラゴン桜」の漫画家三田紀房さんはアイデアにつまった時こそ世間の常識に立ち返り、面白くない常識を思いつく限りピックアップして片っ端から叩き潰すなど、常識を知り尽くした上でようやく非常識を創造しています。
また、2016年の民法連ドラ平均視聴率1位の「Doctor-X 外科医・大門未知子」の脚本家中園ミホさんは好きだった脚本家の先生のすべての作品を半年間写し続けたことで、どんな芸術映画や娯楽作品にも共通した脚本のルールと技があることを知り、基本の構造をひたすらシーン毎に組み合わせてヒット作品を作っているそうです。
豊臣秀吉は織田信長の草履を懐に入れて温めていたことで信長の目にとまりましたが、秀吉は何か特別なことをしたわけではなく、誰もが簡単にできるけれども誰もしなかったことをやっただけで、個性や創造性というものは手の届かないところにあるわけではありません。
それらは結局、すごく普遍的なところや根底部分である自分の足元を掘って掘って、ようやく突き抜けたところに見つけられるものなのでしょう。