日本人は失敗することに過剰に反応したり、それ自体を恥ずかしいことだと認識しているようで、実際、相撲の行司が腰に刀を刺しているのは、軍配を間違えた時に切腹するためなのだそうです。
このように失敗を悪とする風習に関して手塚治虫さんは、失敗からの立ち直りが人生を下支えする重要な要素であるにも関わらず、大人の手によって、子どもが本来直面するはずだった「危険」が刈り取られてしまい、失敗する機会を失っているとして次のように述べていました。
「イロイロやらせて失敗や危険の伴う要素を容認してやりましょう。失敗や危険の伴わない人生なんてありません。それに慣れてしまうと、いざ失敗した時にどうすればよいか分からなくなってしまう。」
最近は親や学校側が過保護になりすぎているため、小学校などから登り棒やジャングルジムなどの危険な遊具が次々と撤去され、運動会などでも組体操を廃止してその代わりにダンスを導入する学校がほとんどです。
ただ、子どもたちは遊具から落ちてケガをすることで、自ら危険を回避したり対処する方法を体で覚えるのにも関わらず、そうした機会を大人たちが奪ってしまえば、子どもたちは一体どこでそれらを学べるというのでしょうか。
近年、社会人の引きこもりや自殺が増えていますが、考えてみれば、子供の頃に危険の対処方法を学ばないまま、いきなり危険だらけの社会に放り出されるのですから、どうしたら良いか分からなくなってしまうのも無理はありません。
このような状況に対してタレントの千原せいじさんは、次のように言います。
「日本みたいな豊かな国では幸せに生きることが当たり前で、そうならないのは不当であるかのように言われるけど、人生を大事にしすぎて、失敗や不幸になることを恐れてたら、ごく普通の人生も立ち行かなくなってしまう。99パーセントの人は泥水すすって生きていくんです。」
普通に生きていくのにだって多くの危険な要素が絡んでいるのにも関わらず、失敗もせずに幸せに暮らしていくなんて、どう考えても無理だということは言うまでもないでしょう。
そう考えれば、多少、泥臭いくらいのほうが幸せに暮らしていけるような気がします。