ヒトという社会的生物種の最大の能力は仲間の人間が放つ聴覚、視覚、そして嗅覚的なヒントから学ぶことであり、経済学者のティム・ハーフォード氏によると「他人の近くにいること」の効用は「頭が良くなること」なのだそうです。
14世紀から16世紀にかけてフィレンツェではルネサンスの芸術運動が繁栄し、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど数多くの偉大な芸術家が活躍していました。
彼らはどこからともなく偶然現れたわけではなく、彫刻家のブルネレスキが発見した新しい知識を友人のドナテルロに伝えた後、ドナテルロは入手した知識を自身の彫刻作品に導入するなど、才能ある人が才能ある人を一つの場所に惹きつけたことでルネサンスは芸術的なイノベーションを起こすことができたのです。
↑「才能は最大の磁石」イノベーションは才能が一箇所に集まったことで生まれた副作物
毎年多くの学生や観光客が訪れる京都には、京都生まれで京都育ち以外の人を「よそさん」と呼ぶ習慣がありますが、仕草や服装など京都の文化が年々洗練されていく背景には、この「よそさん」が京都に入り込んで新しい文化を生み出していることが考えられます。
かつてのパリは貧しい芸術家が集っては競いあうことで芸術を開花させ、売れる前のピカソはパリにある洗濯船と呼ばれる貧乏長屋に他の画家や彫刻家、詩人たちと一緒に5年間住み、自分とは異なる価値観を持った彼らとともに議論をしながらその全てを創作の源泉として自分の作品へ投じていました。
しかし、現在のパリはその秩序ある美しさを守るため、新しい建築活動に制限を設けることで不動産の価格が上昇し、飢えたアーティストが暮らしていたパリの面影はなく、お金持ちしか住むことができません。
↑かつて貧しいアーティストが集って才能を開花させたパリはお金持ちばかりが住む都へと変わった
1950年代のニューヨークのソーホーは工場労働者が仕事をなくした時代遅れの倉庫街でしたが、現在はセレクトショップやブランドショップが多く立ち並ぶ都市に変貌しました。
当時、倉庫街に最初にやってきたのは貧しいアーティストや移民、そしてゲイや独身者といった、社会のはみだし者とみなされていた人達は、彼らが集まって知恵を絞り出すことでソーホーは廃墟から生まれ変わっていくことになります。
その後、ソーホーの不動産価値は上がり、ファミリー層やハイテク企業が流入しはじめました。これから多くの人が住み、経済的にも文化的にも繁栄するであろう都市とは、芸術家やゲイが住んでいることが一つの指標となっていくのではないでしょうか。
↑次に土地の価値が上がりイノベーション産業が誕生する都市ははみ出し者が住みたいと思うところ
犯罪がはびこり職を失った人で溢れていたシアトルは1979年にマイクロソフトのオフィスが移転し、もの凄い勢いで成長していったことで、ハイテク企業を引き寄せる磁石となっていきました。
例えば「スタートアップらしくガレージから出発することが大事だと思っていた」と話すアマゾンのベゾスがこの地を選んだのは、任天堂やアドビシステムズなどのテクノロジー企業の研究所やスタートアップが集まり、シリコンバレーよりも家賃が安かったということが主な理由だったとされ、また、マイクロソフトの卒業生が創業した企業は約4000社にものぼり、その過半数はシアトル近郊に拠点を置いています。
かつて「絶望の町」と呼ばれていたシアトルは2000年の時点にはアメリカのハイテク都市の中で平均年収約1400万という最も高級取りの働き手が集まるイノベーションハブへと変貌を遂げ、2015年には世帯年収の中央値が約800万を超えるなど、都市が再生するのは才能あるクリエイティブな人たちをいかに惹きつけることができるかに大きく左右されていくことでしょう。
↑マイクロソフトの卒業生が創業した企業は約4000社にものぼる
つまらない街や自分の才能が活かせない街であれば、クリエイティブな人達は容赦なく別の街に移動していきます。
東京では超高層ビルの1階部分にコンビニやチェーン店が入るケースが多くありますが、アメリカでは街を楽しくするために家賃をすごく安く抑えて花屋やコーヒーショップに入ってもらうことが多く、アメリカで住みたい街の第一位に10年間輝き、毎週約300〜400人が移り住んでくるポートランドでは、最も満足度の高いスーパーマーケットに選ばれたトレーダー・ジョーズのような全米の有名チェーンでさえも簡単に出店することはできません。
↑クリエイティブな人達が好むのは個人で経営する個性的なお店
日本の都市づくりにはサラリーマン的なロジックが詰まっているため、街の楽しさよりも家賃をとって利益をあげることに意識が向き、そのため物価が上がり、個性的なお店が入ることができない場合が多いのでしょう。
こうなると、都心の高層マンションであれ、郊外の住宅団地であれ、日本の都市は均質化してさびしくなるのは当たり前で、都市を面白くするのはサラリーマンでは難しく、東京大学の名誉教授で「バカの壁」の著書である養老孟司氏は次のように述べています。
「そういったサラリーマン化を日本人は『進歩』と称して今までやってきているんですから、どうかしていますよ。」
↑日本のサラリーマン・ロジックが生み出したのはファーストフード化する都市づくり
また日本では人口の東京一極集中が問題視されていますが、アメリカの女性ノンフィクション作家であるジェイン・ジェイコブズ氏によると、都市の本質とはお互いによく知らない人間同士の緩やかな関係性にあるのだと言います。
一つの会社に長く勤める働き方への興味が薄れつつある中、次の仕事を見つけるためには新しい情報や人と出会う必要があり、まったく知らない人の近くにいる方が家族や親友との繋がりよりも重要で、都市に住むというのは質の高いアイデアと高度なスキルを持った「他人といる」ためにお金を払っていると言い換えることもできるでしょう。
↑都市に住む人は他人といるためにお金を払う「ビジネスで大事なのは強い絆よりも弱い絆」
現在アメリカではシリコンバレーの次の都市としてコロラド州が注目されており、マサチューセッツ州に次ぐ全米第2位の高学歴を誇る都市でありながら、生活費は東海岸西海岸と比べて30パーセントも安く、人口540万人のうち53パーセントは移民が占め、平均年齢が36.3歳の同州には、グーグルやツイッターなど多くのハイテク産業が拠点を拡大しています。
コロラド州はシリコンバレーに比べてコミュニティが協力的で、企業間の競争率も低く、優秀な人材を集めたり投資家やメディアからの注目も受けやすいのが魅力の一つでもあります。
↑若くて野心のある若者は、自分たちを受け入れてくれる街へどんどん移っていく
今やシリコンバレーはスタートアップ同士の競争が加熱し、自社の成功にしか意識が向かなくなっており、コロラドにはかつて若き起業家や移民が新しいスタートを切ることで、アメリカの経済成長に大きな影響を与えていた時代のシリコンバレーの面影があるのかもしれません。
そして、社会の中でもっとも移動性が高いのは若い世代で、中でもその傾向は高学歴の若者に顕著に現れており、クリエイティブな才能の移動によって、現在繁栄している都市も今後衰退する可能性は高く、都市間の才能獲得競争はより一層激しくなっていくことが予想されます。
↑クリエイティブな才能は都市から都市へどんどん移動していく
古い工業時代の都市とはアップルやアマゾンがガレージから誕生したことを考えるとクリエイティビティの可能性が詰まった原石のような場所と言えるでしょう。
例えば、石川県金沢市では旧紡績工場の倉庫群を改修して、市民が演劇、音楽、美術活動の練習の場として24時間365日利用できる金沢市民芸術村を設置し、未来のアーティストの育成などに励んでいます。
また、かつては志賀直哉の「城の崎にて」の舞台になり、島崎藤村や泉鏡花などの文豪が旅館に長居していたことで「温泉と文学の街」として有名だった兵庫県の城崎町は、その知名度も低下していましたが、豊岡市が宿泊施設や自炊設備を完備した城崎国際アートセンターを世界中のクリエイターやアーティスト向けに解放し、世界中から才能ある人を誘致することに成功しました。
そして、豊岡市は元メジャーリーグ投手の野茂英雄氏が「夢を諦めるな」との思いからプロ野球選手への夢を抱く若者たちに活躍の場を提供するためNOMOベースボールクラブを移転した場所でもあり、古く廃れていた町を荒廃地ではなく可能性のある場所としてみなすことが、クリエイティブな人の関心を集めるきっかけになっていくことでしょう。
↑都会で煙たがられる人が、自由でいられる場所が地方にはある
2014年に四国地域リーグFC今治のオーナーに就任した元サッカー日本代表監督の岡田武史氏は、日本が世界で勝てるサッカーの型を作るには、中堅都市に拠点を置くJリーグのチームでは全てを一度潰さなければならず、人口17万人ほどの都市の方が長年かかっても一からできるだろうと敢えて愛媛県今治市を選びました。
FC今治が面白いサッカーをすることが、トップレベルの人材や企業を日本だけでなく海外からも招きいれることにつながり、サッカーを通じて生存競争に勝てる町を作ることができると考えて次のように述べています。
「(中略)さっき言ったように生存競争に勝たなきゃいけないわけよ。そうすると外から人ともの、金が入ってくるような、どうしてもエネルギー買ったり、なんでも外に出て行くわけだから、ビジネスモデルを考えていかなきゃいけないと。現実に今、人が集まってきてる。東京や中国のスポンサーさんが入ってきてる。そういうのを見て地元の人達が、やっぱりひょっとしたらっていう光を見てくれてると思う。」
↑街がほんの少しずつでも変わっていくことで、やっぱりひょっとしたらと思わせることが本当の始まり
2010年では世界全体の都市生活者の数は36億人でしたが、その数は2050年には63億人になると見られており、これは毎週130万人が都市に移り住む計算で、多くの人が質の高いアイデアと高度なスキルを持った人の側にいたいと思っていることの現れだと考えられます。
「速さ」よりも「近さ」の方が才能ある人にとっては価値があり、そんな才能ある人を集めている都市は、脳を持った一種の生き物のようにも思え、これからの時代、移動する才能をいち早く獲得できる賢い都市だけが生き残っていくのではないでしょうか。