介護によって追い込まれた人が起こす殺人や自殺は、警察によってウラの取れていないものや未遂のものも含めれば年間1000件以上にのぼると言われています。
昨今では、「ほとんど終日介護をしている」という介護者のうち、男性の割合が3割近くを占めるようになり、これまで考えられなかったような、80歳以上の男性が介護をしている割合も全体の5パーセントにのぼるそうです。
家のことに不慣れな男性、しかも高齢者が介護をするというのは絶望と隣り合わせであり、妻の介護で疲れ切っていたある78歳の男性は、「『どうせ治らない病気だ』と思うと、カッと頭に血がのぼり、妻を刺して自分も死のうと包丁を取りに行った」と語りました。
殺してしまうくらいなら放っておいた方がいいのかと考えさせられますが、2013年には、90代の認知症の男性が線路に入って亡くなった事故において、そのために発生した電車遅延の責任は、80代の妻、そして親とは別に暮らしていた息子にあるとして損害賠償の支払いが命じられており、介護における家族の責任はどんどん重くなっているのです。
ヘルパーに頼りたくても、介護の制度は制限が増え続けていて、食事や排泄などと違って命を維持するのに必要ないとされること、例えば談話する、ペットの世話をする、花の水やりをする、散歩に行くなどをヘルパーに頼むことはできません。
ヘルパーの方でも「これは保険適用外だからできません」と断るのが仕事のようになってしまっており、8時間労働のヘルパーが介護をしている時間は3時間強で、残りの時間は待機・移動・文書整理に使われているという話もあります。
そんな中で、在宅で介護して93歳で96歳の姉を看取った松谷天星丸さんは、老人が老人を介護する“老老介護”について、年寄りの世話は年寄りがする方がいいことがあるとして次のように語りました。
「年寄りの生活リズム、呼吸をわかってケアしてもらえるので、ストレスがないこと。昔話や若いころ流行った歌など、共通の話題があって、気持ちを共有できることです。双方にとって最大のメリットは、お互いに刺激を与え合えることです。」
「お姉様は、心臓の冠状動脈が詰まりかけているのに、よくがんばっていらっしゃる、私も骨折ぐらいでへこたれてなんかいられないという負けん気が出てくるんです。」
65歳以上の人口が半分を超える限界集落は、「かわいそう」という目で見られがちですが、実際は、若者に頼らなくても年寄りが暮らせる良いところで、年寄りが頑張っているために、若い人が入れないくらいになっているのです。
一方で、介護のために仕事を捨てなければならない若者を増やしてしまっている多くの都市では、団塊の世代に認知症や寝たきりが増える数年後には、今の何倍も多くの人が追い詰められることになるのは目に見えています。
高齢の介護者は、高齢者のことをよくわかっているスーパーヘルパーなのだという考えが当たり前になり、彼らのアイデアが介護の制度に取り入れられれば、若者に合わせる必要のない高齢者の暮らしは今よりもずっと問題が少ないものになっていくかもしれません。

「身体」を忘れた日本人 JAPANESE, AND THE LOSS OF PHYSICAL SENSES
- 作者: 養老孟司,C.W.ニコル,青山聖子
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2015/08/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)