体重50kgの人の場合、体から洗面器1杯分の水分が足りない状態になるだけで命にかかわるそうですが、それと同じくらいの量の水は、汗や排泄などで1日のうちに体から自然と出て行っています。
80パーセントが水でできている脳は、たった1パーセントの水分が不足しただけで意識の覚醒レベルが下がるほどの影響があるのだそうで、喉の渇きに鈍く、一番の水の蓄え場所である筋肉が落ちて水分不足になっている高齢者には、「認知症」のような行動が見られるのだそうです。
40年間認知症とかかわってきた医学博士の竹内孝仁氏は、夜中に騒ぎだす異常行動なども、1.5リットルの水分を飲むようになって脳の水分不足が解消すれば1日2日で消えてしまうと述べていました。
↑多くの認知症は熱中症と似ていて、水分を補えば治ってしまう
1日に1人あたり平均319リットルもの水を使う日本人にとって、毎日1.5リットル飲むのは簡単なことですが、世界にはバケツ1杯の水を確保するのも難しく、飲める水が手に入りにくくなり、「水難民」となる人が増えています。
1分間に約25万人の赤ちゃんが生まれ続けるスピードで人口が増加している中、そのスピードの倍の速度で増えているのが世界の水の使用量で、いままで「タダ」同然に扱われてきた水は資源として石油よりも貴重だと言われるようになりました。
「ニセコはもう日本のものではない」といわれるほど山岳地帯の土地が外国に買われている北海道では、水源を守るために条例が制定されましたし、20年前に世界銀行で副総裁をつとめていたイスマイル・セラゲルディン氏が「21世紀は水を巡る紛争の時代になる」といった言葉は今、中東やアフリカの現実そのものです。
↑命にかかわる水がなぜこんなに安く、何の役にもたたないダイヤモンドはなぜあんなに高いのか
人口爆発による食糧危機が叫ばれるようになり、その対策として農業に適さない地域に農業が広まったのは、より多く収穫できるように作物の品種改良が進められた1960年頃のことで、世界を飢餓から救ったこの「緑の革命」の提唱者は、農学者としてはじめてノーベル賞を受賞しました。
しかしながら、収穫量を多くできる品種を育てても、水1滴あたりの収穫量で考えれば、もともとの土地原産の作物と比べ物にならないくらい非効率的で、生産量は一世代前に比べると2倍になった一方、そのために使用した水の量は3倍に増加したのです。
国境をまたいで流れるインダス川やメコン川、ナイル川などの国際河川は世界に270あり、各国はできるだけ多くの水を自国に取り入れようと川の流れを変えたり、大規模なダムの建設を推し進め、水の奪い合いが戦争の火種となりました。
↑最大規模のダムの水の重さが2008年の四川大地震を招いたとも言われている
Rival(ライバル)の由来がRiver(川)にあるのは古来から水をめぐって人々が争ってきたことの証で、イラクがクウェートに侵攻した理由も、表向きには油田争いとしていましたが、当時サダム・フセインの口癖は「石油と水は国家なり」で、国民の求心力となっていたのは石油よりもむしろ水のほうであり、実際にクウェートで真っ先に押さえたのは海水淡水化施設だったということです。
また、50年前に戦争に勝利し、ヨルダン川の水や地下水をほぼ独占しているイスラエルは、「ヨルダン川の上流にいるシリアが水に毒を入れかねない」「パレスチナが地下水をだめにしかねない」と警戒し続けています。
↑水は誰のものでもあり、誰のものでもない
水をナイル川にほぼ100パーセント頼っているエジプトは、不平等な条約のもと、ナイル川の水の75パーセントは自分のものだと主張し、「アスワンハイダム」という巨大ダムをつくって川を本格的に操ろうとしました。
すると、その水源の85パーセントが自国にあるにもかかわらず自由に水を使えないでいたエチオピアは、エジプトの武力をちらつかせた脅しにはもう屈せず、エジプトが認めようが認めまいが関係ないという姿勢に変わります。
そして、エチオピアがナイル川上流に「ルネッサンスダム」の建設を開始すると、今度はエジプトが「これは宣戦布告だ」と批判し、今なおナイルの水を巡って協議が重ねられていますが、人口爆発の只中にあるエチオピアも、これから2050年までに人口が倍になるというエジプトも、水を必要とする人の増加をとめることはできません。
↑ダムだけではもうあふれる需要を満たすことはできない
増え続ける人口や温暖化による高山氷河の縮小など、一過性とはいえない水問題を抱えた世界が直視しなければいけないのは、巨大なダムを作っても、大量の地下水を発見しても、それで食糧問題やエネルギー問題が解決するのは一時のバブルのようなもので、先には行き止まりしかないという現実です。
過去にアメリカ政府の開発局長官として、世界一多くの大規模ダム建設を指揮してきたダニエル・ビアード氏は今、ダム建設反対運動を指揮しており、振り返ればダム開発には悲しい歴史がついてまわります。
建設によって土地や仕事が奪われた人の数は世界で8000万人を超え、農地は大量の水とともに運ばれる大量の塩によって土壌も生態系もボロボロになり、そして古くなったダムは水の圧力で決壊して洪水を起こし、中国で少なくとも8万人の死者を出す大災害の原因となりました。
「緑の革命」の発信地であったメキシコでは水をすっかり使い果たして多くの農家は土地を捨て、また、牛のえさ用の草が砂漠で栽培されているサウジアラビアでは、1リットルの牛乳を生産するのに2000リットル以上の水を使うというような農業を続けた結果、地下水の枯渇まで10年を切ったと言われています。
↑地下水の補充には何百年もかかるのに、数十年で使い切る
「アラスカでバナナを育てる」とも例えられるように極めて不自然な農業は、私たちが食べているものに使われる水の量を莫大なものにしました。
肉を食べてビールやミルクを飲む典型的な西欧の食事をしている大人は、1日あたりで体重の100倍もの水を消費していることになり、ハンバーガーを半分残して捨てた場合、それは500リットルの水を捨てたのと同じことになるのだそうです。
外食産業がひしめく東京の食糧自給率はわずか1パーセント、そこに「つくりたてしか提供しません」というような廃棄ルールが重なって生まれる大量の残飯とともに、いったいどれほどの水が捨てられているのでしょう。
↑距離が遠い食べ物ほど、簡単に捨てられるものなのかもしれない
日本の外食産業を支えている中国では、耕作地は国家のもので、また作物による収入は量で決まり、品質によって価格が左右されないため、農家は土にも作物にも愛着を見出せません。
それは、きちんと発酵させていない肥料を使い、それを殺菌するために大量の農薬を撒くという、生物に対する暴力としかいえないような農業につながっており、現地を調査した農学博士の高橋五郎氏はその様子を次のように述べてました。
「中国では土も水も、もはや『過労死』と表現しても大げさではない段階を迎えてしまっている。」
↑たたけば音がするほど痩せた土壌
薬漬けとなった土地が増えるのと同じくして、中国の農村では水質調査の結果、最悪のランクに入る水が年々増え、こういった水はもう水と呼んでいいものかわからないほどに汚染されており、「この世に存在してはならない水」と言われています。
生物学者レイチェル・カーソン氏の著書「沈黙の春」では、完全に未開の地でない限り、人里はなれた湖の魚も、地中のミミズも、もちろん人間まで、化学薬品の痕跡のない動物を探し出すことが難しいほどにすべてが汚染されていると明らかにされ、殺虫剤や農薬の怖さを世界に知らしめることになりました。
化学薬品が川などに流れて複雑に結びつくと、どういう物質か見極めることさえできなくなり、そういうモノのことを、マサチューセッツ工科大学のロルフ・イライアスン博士はかつて、「それが何か、さっぱりわからない。人間にどういう影響をあたえるのか。わかるはずがない」と述べていたそうです。
↑この世に存在してはいけない水は増え続ける
水不足と水質汚染は企業にとっては絶好のチャンスで、日本でも約800種類のボトル水が流通してペットボトル市場は急成長しており、浄水した水道水をボトルにつめただけで水道水の7000倍以上の値段を付けて売るという事例も出ています。
シンガポールでは2060年までに高度処理した下水と淡水化した海水で80パーセントの水需要をまかなえる見込みで海外への事業展開を狙っており、水を管理するビッグデータに注目したIBMは、水資源の管理を支援するベンチャー事業に乗り出し、水不足が深刻化しているマルタ共和国でプロジェクトをスタートしています。
しかし、そういった技術による解決策に、使われるエネルギーはどこからくるのか、淡水化したあとの塩はどこに行くのか、あるいは、豊かな国と貧しい国の間にある「持つもの」「持たざるもの」の差を広げるのではないかといった更なる困難が見え隠れしています。
↑豊かな国の人間中心で考えれば結局地球は行き詰まる
最新技術で挑む先進国とは対照的に、中国甘粛省のある村では、少し前まで鳥も給水車を追いかけるほど水不足が深刻化していましたが、何百年も前の知恵にならって、雨水をためる貯水槽を増やす活動をはじめて以降、水に困ることはなくなり、東部のある県には20万の貯水槽が見られ、1年間に30カ国から見学者が訪れるようになったそうです。
この活動を広めたリャン・ジャンミン氏は、この地域で人口の10分の1しか水道を使わずに済んでいることを誇りに思うとして、次のように語りました。
「ここではすでに、中国でどこよりもたくさん雨水を収穫している、いや、おそらく世界のどこよりも。」
↑ベルリンのある開発区でも、1滴の雨水も外に出さない取り組みが始まっている
川においても堤防やダムで水をコントロールするのはなく、川自体が水を自然に消化できるようなスペースを守ろうと唱える人たちがヨーロッパを中心に増え、2000年に大洪水の被害に見舞われたイギリスもこの考えを支持し、コンクリートを取り払って湿地帯を生み出す方向へ転換しつつあります。
日本でも、「水と生きる」をうたうサントリーで地下水を補うために森づくりプロジェクトを手がけてきた山田健氏は、洪水になって流れ去ってしまう水の量を減らすには、雨水の地下への浸透を促すことが必要なのだと述べました。
草や木が茂り、小動物やミミズ、微生物などが暮らす豊かな生態系がある地面はふかふかでスポンジのように水を吸収して、小さな隙間が半分以上を占める土が膝下くらいの深さまであるところでは、台風のような大雨が降っても水を土壌に貯めることができるのだそうです。
↑自然のスポンジのほうがコンクリートより確実だ
スウェーデンの水文学者は2050年までに現状より80パーセント多い水が必要だという予測を出していて、一昨年、オバマ大統領は水を復元し保全する技術を発展させる産業界への投資を促す取り組みを公言し、それは月面着陸のような挑戦として「ムーンショット・フォー・ウォーター」と呼ばれました。
企業は水に利を見出し、私たちは画期的な解決策に頼りたいと思わずにいられませんが、過去から得られたもっとも大切な教訓は、この先、百年後千年後まで道をつなげてくれる方法だけを選ぶことなのかもしれません。