厚生労働省の2014年患者調査の概況によると、日本における糖尿病患者の数は2011年から46万6,000人増えた過去最多の316万6,000人になっており、また日本では世界トップを争うほどの年間1900万トンもの食品廃棄物が生み出され、これは世界の7000万人が1年間食べていける量なのだそうです。
今や日本は栄養が足りなくて健康を害する時代から、食べ過ぎで病気になる時代へと変化し、そんな過剰に美食飽食を求める生き方の中に、モノは豊かになった反面、心は貧しい社会の原因があるのではないでしょうか。
↑美食飽食を満喫し、余ったものはどんどん捨てる。それが今の日本の姿
トマトはふつう土に種を蒔いて育てますが、栄養分を補った水の中で育てられると、一粒の種から一万数千個以上の実をつけることができ、トマトには人間の計り知れない潜在能力が潜んでいるのです。
自然の土で育つトマトにも、一万数千個以上の実をつける力は秘められているのでしょうが、自然の土で育つトマトが数十個しか実をつけないのは、トマトにとって土の上で無制限に繁殖してしまうのは自然の生態系を崩すことになるからで、自然界で増えすぎることで自分たちの生存を危うくしないよう、トマトの慎みとして土という環境にふさわしい最適規模や秩序を守っているのだと思います。
↑自然のトマトは自ずと生き過ぎないようにして自然の調和を守っている
しかし、人間だけはこの自然の秩序から外れた行動をし、自分が必要とする以上のものを欲しがるとして、タニタの社員食堂を作ったタニタ前社長の谷田大輔さんの考えは次のとおりです。
「無計画に生き物を捕っては食べ、余ったら残して捨ててしまう。人は無益な殺生をしているばかりか、過剰なカロリー摂取で自ら肥満の原因を作り、その結果、太り、悩み、そして病気になっているのです。この原因は、食にまつわる環境と、消費者の知識不足にあると思います。」
↑自分が食べ切れる以上の食事を求める人達が溢れる社会では欲に対するブレーキは効かない
がん医療の最先端を担うアメリカテキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターのレポートでは、がんを含めたほとんどの病気の原因は遺伝子ではなく、環境やライフスタイルが90〜95パーセントの慢性病の原因だと発表されています。
実際に、元プロ野球選手の落合博満さんは生活に断食をとりいれたところ、40歳頃から衰えはじめた動体視力を回復させることに成功し、43歳で21本のホームランを打つという大記録を残しました。
これは、人間にあるサーチュイン遺伝子という長寿遺伝子が空腹感やカロリーを制限することによってスイッチオンになり、その結果老化を防ぐことに成功したからで、食べ物を口に入れてお腹いっぱいに満たすというこれまでの食への向き合い方を変えると、薬や科学の力を頼らずとも、病気も運動神経もコントロールすることが可能なのです。
↑「ご飯、もう一杯おかわり」を止めるだけで人生は良い方向に変わってゆく
一流といわれる人の中には自己判断によって質素な食事を習慣の一つとして取り入れることで、ここぞという時に極限の能力を発揮できる身体と心を作り出す人がおり、例えばイチロー選手は試合前になると必ずおにぎりしか食べないそうです。
その理由は、万が一試合前にお寿司を食べて生ものがあたってお腹をこわしたり、ステーキを食べすぎて身体がいつもより動きにくいといった、余計なことで感情を惑わされないよう、心も身体も万全の状態で目の前の試合に集中するためだそうです。イチロー選手と同様に熾烈な選挙戦を母親が作ったおにぎりだけで戦い抜いた元首相の田中角栄さんは次のように語りました。
「選挙になると、料理屋に上がってふんぞり返って、昼から刺身だ、天ぷらだ、と言っている奴は必ず落ちる。選挙のときは握り飯に限る。昔から戦(いくさ)に握り飯は付きものだ。」
↑美食飽食の今の時代、何故か質素で食べない人が活躍している
頭の中に生じた考えに感情を左右されることなく、ただ冷静に観察して今この瞬間に意識を集中させることは生産性や創造性を高める効果があり、一流企業の多くがこれらの効果を発揮するトレーニングの一つに瞑想を取り入れています。
例えばグーグルが定期的に開催しているのが「本気でランチと向き合え」という、丁寧にゆっくり食事をすることで食材の味を確かめるだけでなく、食事中や食後に満足感や安堵感といった自分の気持ちを観察して、身体にとって必要な食事の量を把握するマインドフル・ランチです。
ハーバード公衆衛生大学院によると、ゆっくりと食事をすることで脂肪細胞によって分泌されるレプチンというホルモンが他のホルモンと反応を起こして「もうこれ以上食べるな」と脳に命令を出し、またゆっくり食べることはレプチンが快感やモチベーションを高める神経伝達物質であるドーパミンと相互作用することにも影響を与えるため、人は食後に大きな幸福感を感じるのだといいます。
↑月に一度だけでも、携帯を見ながらではなく丁寧にゆっくりとランチに向きあえば幸福度は上がる
日本に受け継がれている禅の修行の一つとして食の作法があり、この作法にしたがって姿勢を正した坐禅の姿で器を丁寧に扱いながら音を立てず静かに食事をし、また口に食べ物を入れている間は一旦お箸を置くなど、一つ一つの事象に対して丁寧に向き合いながら食事をすると、普段食べている量がいかに不適切かに気づくだけでなく、他人を配慮せず欲のまま自分勝手に食べるエゴを最大限に抑えることができます。
俳優の高倉健さんは俳優にとって一番怖いのはケガと病気だと考え、撮影でロケに行くときは貪欲さから現地の特産物を食べすぎてお腹を壊すことがないよう、必ずレトルトカレーとパックのご飯を持っていくほど食事に対して気を配っていました。
この姿勢はただ俳優として健康管理が大事だったというだけでなく、根底にあるのは主演が体調を崩すとスケジュールが狂って、相手の俳優にもスタッフにも迷惑をかけてしまうという周りへの思いやりです。
↑「他人に迷惑をかけないためには健康でなくてはいけない」健さんがレトルトカレーを食べるのは自分のためではなく周りのため
健さんは「鉄道員では共演するみんなが気持ちよく芝居できるように気を使っていた」と述べているとおり、相手の俳優が早く動いているように見せるために自分がゆっくり動き、相手の俳優を全面に出すために自分が後ろに動くといった、自分を表現するよりも常に相手との芝居を心がけていました。
多くの人が健さん観たさに映画館へ駆け込むのは「俺が俺が」ではなく、周りのために食事をコントロールするほど優しさに溢れた健さんの人格の高さや格好良さに惹かれるからなのでしょう。
↑プロとしての食事のコントロールから周りへの優しい振る舞いまで、その健さんの全てがフィルム越しに滲み出ている
健さんがよく使う「気」という言葉に関連して「気は心」という言い方があり、私たちの太古の祖先はそのココロという言葉に心臓の「心」という漢字を当てはめました。
それは、ココロで感じたことを表現しようとすると「胸の奥から湧き上がる」とか「腹わたが煮えくりかえる」というように、人の喜びとか怒りといった心情を形成するのが頭脳ではなく、身体の奥底にある内臓であると感覚的にわかっていたからではないでしょうか。
心臓を移植すると性格が変わったりお腹が空くと不機嫌になるというように、人間とは明らかに喜怒哀楽を身体に委ねており、人間が食をコントロールすると、仕事から人間関係に至るまで複雑に見える世界がすっかり変わって見えるのは、人間とは明らかに脳ではなく身体そのものだからです。
↑「肝がすわっている」「胸くそ悪い」人間のむき出しの感情は身体から沸き起こる
贅沢な食事を抑えることで身体の五感がまるで現代人とは思えないほど鋭敏なものになっているのが宮崎駿監督です。
鈴木敏夫プロデューサーによると宮崎監督は何十年もの間、ご飯、卵焼き、沢庵、ソーセージをぎゅうぎゅうに詰めたお弁当を昼と夜の二回に分けて食べ続けており、たまのご馳走といえばスタジオジブリのある東小金井駅前の牛丼屋に行くことで、その牛丼からお肉だけ別皿にとってすき焼き定食として食べるのが凄く美味しいと言っています。
このように監督自身が食べることに対して、これ以上下げることのできないギリギリのところまでおいやって、内臓感覚を誰よりも敏感にしているからこそ、宮崎映画の名物とも言える美味しそうな食べ物の描写や、反対に食べ物に対する恨みのようなシーン、そして映画全体を通して生きることは楽しいことばかりではないというメッセージを強く伝えることができるのでしょう。
↑日本を代表するアニメーション監督の発想の原点は贅沢な食事を抑えた飢餓感にある
宮崎監督と同じように内臓感覚に敏感なダルビッシュ有選手は、味に対しては何も思うことはなく、不味くても自分が求める身体に対して良い効果があるものを食べ、美味しくても身体にとって悪ければ絶対食べないなど食に対してストイックな考えを持ち、日本の高校野球では白米をどんぶり何杯食べるかが努力の一部と見なされ、圧倒的にタンパク質が不足していると持論を展開し、自身のトレーニングの経験からtwitterで独自の見解を述べています。
「日本人の感覚の繊細さがあれば栄養面、トレーニング面を幼少期からしっかり管理していればアメリカのアメフトでも通用する人が出てきそうなんだけどな。」
↑食事を変えることで病気の遺伝子を発現させないことが可能なら、食事次第でスポーツの向き不向きも変えることができるのかもしれない
味覚が狂った過食美食が原因で生じる生活習慣病といわれる糖尿病や高血圧が多くの人を悩ませている社会では、自分の身体の中にタンパク質やビタミン、アミノ酸がどれだけ不足しているかといったことを素直に感受できる人なんてほとんどおらず、むしろ血管が食べ物の過剰摂取でやられている人に限って、ジャンクフードや食べ放題を目の前にすると口元が緩んでしまうのでしょう。いっそのこと食べたいものを食べないでいることが身体の感覚を正常に戻すことにつながるのではないでしょうか。
アントニオ猪木さんは糖尿病を患う前、食べることは仕事といわんばかりに一度の食事でラーメン丼ぶりで10杯以上のご飯や焼肉を2キロ平らげるのが当たり前でした。
しかし、病気になったことをきっかけに暴飲暴食をやめて、どうしてもお腹が空いた時はキャベツを細かく刻んで食べ、試合前には断食をとりいれて足腰の痛みを回復させることに成功し、食べ過ぎをやめるとどんどん身体が自然な状態に戻るとして、「味覚が変わって、本当のおいしさを味わうことができ、心からおいしいと感じるようになる」と語っています。
↑美食過食で味覚が狂った人は食べたいものを食べなければ自然な身体に戻っていく
今の日本では「明日食べていけるかわからない」「食べていくために手に職をつける」というように「食べていく」ということを「お金を稼ぐ」のと同じ意味で使われることがあり、食事に向き合う時間を作るよりも、仕事を成し遂げて社会的に評価されることの方が大事だと考えられていますが、元来食べるというのはお金の土壌で考えるものではなく、健やかに美しく生きることを中心に考えるべきことではないでしょうか。
自然界では動物はケガをすると回復するために一切の食べ物を絶ち、また、おたまじゃくしがカエルになる前の数日間はなにも食べないなど、動物は食べないことが生命の新たなスタートにとって最もふさわしい方法だと本能的にわかっているのです。
蜂が花の蜜を吸うときにその花の香りや色まで損なうことはしない、そんな行き過ぎない自然の法則に従った節度ある食べ方が自分にとっても周りの幸せにとっても大事なのでしょう。
そのような食への向き合い方の中に、自分の欲望の赴くまま他の人より損をしないように生きるにはどうすれば良いかといった、温かい心より切れる頭の働く息苦しい社会を紐解く答えがあるのだと思います。

マインドフル・ワーク 「瞑想の脳科学」があなたの働き方を変える
- 作者: デイヴィッド・ゲレス,岩下慶一
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