Good Life Journal

日常生活における「疑問?」を「確信!」へ

病院ではなく、自分の家で死を迎かえれば「お迎え」が来る確率は40パーセント。

f:id:goodlifejournal:20181120130202j:plain

国の医療費が毎年1兆円規模で増え続けている中で、団塊の世代がみんな、生涯でもっとも医療費のかかる75〜79歳というピークに入るのが2025年と言われています。

そこからさらに彼らが日本の平均寿命を超えるようになる2030年には、団塊の世代の大量死によって病院のベッド数が圧倒的に足りなくなり、約47万人が「死に場所難民」になると予測されています。

そこで、高齢者には「ほぼ在宅、ときどき病院」というふうに医者にかかってもらい、病院に集中していた負担を地域の老人クラブやボランティア、友人、家族などに振り分けて問題を解決しようというのが、政府の推し進めている“地域包括ケアシステム”です。

しかしながら、人が死ぬのをほとんど目にしなくなって「今さら家で死ぬのなんて無理」と思ってしまう私たちが、死を前にした人を抱えて病院という居場所を失ったとき、どのように関わったらいいのかを学ぶ機会はほとんどありません。

f:id:goodlifejournal:20181120170501j:plain

↑医療費の削減が目的のシステムでは、人々の考え方は変わらない

私たちが生涯に費やす医療費は一人あたり約2500万円で、そのうちの半分を70歳以上になってから使うといいます。

その大きな要因は終末期医療の費用だとされており、80年90年と生きてきた人生の最後に、導尿バルン、気道チューブといった管やセンサーをいくつもつけられて延命措置を施され、「スパゲティ症候群」と呼ばれるような入院患者となって生かされ続ける高齢者が少なくないそうです。

「1分1秒でも命を延ばす」という病院医療の延長線上に在宅医療が考えられている限り、家の中に管に繋がれた老人を抱え、人々が先の見えない日々を送るという、患者や家族に大きな負担がかかる未来が待っていることは想像に難くありません。

f:id:goodlifejournal:20181120170511j:plain

↑70歳を超えたら死ぬまでに1000万円以上が医療費として費やされる

死期が確実に迫っている人にも医療の介入が当然とされる日本では、最期を迎える場所が住み慣れた家というのはわずか1割で、それ以外のほとんどが病院で亡くなっています。

しかしながら、ほんの40年ほど前までは、病院死よりも在宅死の方が多く、昔の日本人が家で看取っていた時の介護期間は、平均でたったの半年ほどだったそうです。

国民皆保険が定着し、目覚ましい医療の進歩で人工呼吸器、人工栄養、抗生物質、そして新しい手術の開発などが進んだ70年代、それまでなら死んでいたはずの人たちが病院に行って死なないで帰ってくることに人々は驚きました。

「死と闘う」という医療の考え方が生まれ、“死を迎える”よりも“生き続ける”ことの価値観に社会が染まっていき、家族の希望で延命治療を中止した医師が殺人罪で逮捕されるというケースまで出てくると、医師は訴えられないように「これをやらなければ死にますよ」と全ての患者に延命を強く促すようになったのです。

f:id:goodlifejournal:20181120170521j:plain

↑一度「延命」のレールに乗ったら、降りることはとても難しい

死を受け入れられない価値観の中では、延命措置をしないというのは命を奪うと言っているかのごとく解釈されてしまうため、人々は患者を病院に任せきりにしてしまう以外の選択肢を持てなくなってしまいました。

しかしながらそれが結果的に、動くこともままならずに管から食べ物を入れられて、時間が来たらオムツの交換をされ、治療が長引いて経済的・精神的な負担が重くなっていく家族からは「早く苦しまないで死んでほしい」と願われてしまう人々を増やしているのです。

f:id:goodlifejournal:20181120170530j:plain

↑負担が重くなった家族は、「死ねばいいのに」と願ってしまう罪悪感にさいなまれる

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」などの著作で知られる医師の中村仁一さんは、医療で「できるだけの手を尽くす」というのは「できる限り苦しめて、たっぷり死ぬ前の地獄を味わわせる」こととほとんど同じだとしています。

日本の高齢者の寝たきり寿命は、男性が約9年、女性が約12年にまで延びていますし、私たちはそろそろ高齢になったときの人の幸せについて真剣に考えておかないと、医療の進歩にともなって長くなるばかりの老後の「地獄」に苦しむことになるのは間違いないでしょう。

f:id:goodlifejournal:20181120170611j:plain

↑世界一親切な日本の医療システムは、エンドレスな治療にはまる、不幸な患者を増やしている

尼崎で年中無休の在宅医療を行ってきた長尾和宏さんは、日本の医療システムは「世界一親切」であるために、食べられなくなったらすぐに胃に穴を開けて栄養を送り込んでしまうというような、世界に例を見ない不幸なことが起こってしまうのだと言います。

確かに、誰もが保険証で安く自由に病院にアクセスできるからこそ、私たちは疑問を抱くことなく過剰な治療を受け入れているのかもしれません。

10年前に財政破綻して総合病院がなくなってしまった北海道の夕張市でも、みんなはじめこそブーブー言っていたものの、人々は病院の閉鎖を機に「入院」や「治療」にもまして、「最期まで生活すること」を重視するように考え方を変えていきました。

f:id:goodlifejournal:20181120170633j:plain

↑病院のない場所では、安心して不健康な生活をしているわけにはいかない

医師の森田洋之さんは、夕張に来るまで死亡診断書に「老衰」と書いたことがなかったといいます。

総合病院にいた頃に「老衰は病名ではない、しっかりと検査・診断して病名を確定するのが医師の務めだ」と教え込まれた森田さんですが、夕張で訪問診療していた95歳を超えた男性に、「検査したらなんかあるに決まってる。血なんか取らなくていい。検査したらピシャっと100メートル走れるようになるのかい?」と全ての検査を拒否され、亡くなられてしまいました。

そのとき、彼の微笑んでいるような穏やかな死に顔に出会った森田さんは、死亡診断書に「老衰」と書くことができるようになったそうです。

f:id:goodlifejournal:20181120170644j:plain

↑病名を知って薬を増やしたって、100メートル走れるようになるわけではないだろう?

一方で総合病院に通う高齢者の中には、複数の科で医者に体のあちこちの異常を診断された結果、血圧の薬、糖尿病の薬、胃薬と消化剤、便秘薬、血液をサラサラにする薬、コレステロールの薬、尿酸の薬、腰の痛み止め、骨の薬、睡眠薬、そして、認知症とパーキンソン病の薬と、もはや薬の効果なんてわかり得ないほど多くの薬を服用しているケースもあります。

「診断をつけて治療をする」のは医師にとって鉄則となっていますが、東京の世田谷区で総合医療医として在宅医療に力を入れてきた松村真司さんは、在宅ではあえて「診断をつけない」ということもできると言いました。

f:id:goodlifejournal:20181120170654j:plain

↑医師にとって「診断をつけない」というのは本来あり得ないこと

たとえ腫瘍らしきものがあったとしても、患者の幸せや望む生き方についてまず考えるため「様子をみる」という判断ができるのだそうです。

松村さんは24時間体制という在宅医の心持ちについて、「畑を持っている人は、今日は日曜日だから畑を見まわりには行かないという発想はあまりないと思うのです」と話していましたが、農家が作物が病気の時だけみているのではないように、病院から離れるほど医者たちは全体としての人を診ることができるようになるのかもしれません。

f:id:goodlifejournal:20181120170710j:plain

↑死ぬ前に会いたい人に会えるのは、自分の家。在宅死で「お迎え」のあった人は40パーセントを超える。

年間300人を超える人たちを在宅で看取っていたガン専門医の岡部健さんは、自らがガン患者になって入院したとき、病院生活がいかなるものかを思い知ったのだそうです。

そして、体が弱っている人間にとって病院の生活ほど辛いものはなく、本当に必要なのはごくありふれた生活空間なのだとして、次のように語りました。

退院した日、私は家に帰ると真っ先にベランダに出て煙草を吸った。庭の木々に止まっている小鳥の鳴き声を聞きながら、煙草をくゆらしているときの至福感。猫がいて、木々の緑が映え、バラが咲いている。何も変わらないこの日常生活こそ大切なのだと思う。

f:id:goodlifejournal:20181120170738j:plain

↑病院生活は刑務所や軍隊に似ている。弱っている人が耐えられるものではない

検査をして肺がんが見つかった人が100人いたとすると、手術をできるのが半分、手術をして治るのが半分であり、「治らない」患者が75人も出るというのに、今の医療では医師は全部治すための専門家であり、医者は治らない患者に対する専門性は何も持っていないのだといいます。

例えば高血圧の薬にしても、「あと半年で亡くなる人」を前提とした実験はされておらず、その薬が有効かどうかというのは医師たちにはわからないのです。

「食べられない」ということも、亡くなる過程では自然なことなのに、治す専門家である医師たちによって「食べさせ続けなければいけない」と胃に穴を開ける措置が取られるのであり、「食べられなくなったから、死を迎えるための準備に入ったんだね」という価値観はありません。

f:id:goodlifejournal:20181120170751j:plain

↑死んでゆく人を専門とする医師はいない

それでも治らない患者が病院に預けられてしまうのは、一般の人たちが、死んでゆく人の隣に座って何もせずに見ていることがつらすぎて、「怖い、なんとかしてあげたい」と救急車を呼んでしまい、患者が病院に搬送されてしまうからです。

人の死を見たことがなく、死は怖いから自分の視野から外したい、という現代の人々にとって、死というのは漫画や映画で見るような、息も絶え絶えに最後の言葉を残してガクッと息絶えるものですが、あれは作り物で、実際にはあり得ない死に方なのだそうです。

f:id:goodlifejournal:20181120170801j:plain

↑死が怖くなくなれば、そんなに慌てることもない

人は死に向かって少しずつ衰えていくのであり、全ての機能がいっぺんにプツっと切れるのではありません。

残された時間が日数単位になると、人はウトウトと眠る時間が長くなり、自然と食べたり飲んだりすることができなくなって、体が脱水症状になっていきます。

つじつまの合わないことを言ったり、興奮して手足を動かしたりするようになるため、家族は慌てて救急車を呼びたくなってしまうのですが、この状態は半日程度しか続かない死の一つの段階なのです。

臨終の時が近づいて、呼びかけても反応が鈍くなり、大きな息をした後に少しの間呼吸が止まるような息の仕方から、最後には顎を上下させて苦しそうに呼吸をするようになるのですが、本人はもう意識がないために苦しいことはなく、やがてそれも止んで人は枯れるように死んで逝きます。

f:id:goodlifejournal:20181120170818j:plain

↑人間には、誰でも夢見がちに旅立てるようなメカニズムが備わっている

周りの医師に「死体を漁るハゲタカ」と呼ばれながらも、死を目前とした患者たちにインタビューを行っていた精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは、人の穏やかな死は「流れ星」のようで、「広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく」と描写しました。

人が亡くなるといくらかの体重が減るということに注目した臨済宗の僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久さんによると、アインシュタインの相対性理論を元に考えた場合、遺体から体重が減った分、膨大なエネルギーが生まれていなければつじつまが合わないのだと言います。

体から失われた1グラムをエネルギーに変えると、光ってみようとするならば太陽の約432倍の明るさに光ることができ、富士山を持ち上げてみたいと思うのだったら17ミリ持ち上げることもできるのだそうです。

f:id:goodlifejournal:20181120170828j:plain

↑人の死は、膨大なエネルギーを放つ

前出の岡部医師は、在宅で診るようになって以降、他人には見えない人の存在や風景を見たり感じたりする「お迎え」が日常茶飯事で起きていることにビックリして、在宅で看取った患者の家族にお迎え体験についてのアンケート調査を行いました。

回収された366の調査票から、「お迎え」があったのが40パーセントを超えていることがわかり、お迎えを体験した人とそうでない人の差は、信仰の度合いなどはそれほど関係なく、患者に穏やかになれる環境があったかどうかの違いだったのだそうです。

最後に「誰か会いたい人はいますか?」と聞かれた人が、「わしはもう、会いたい人には会えた」と、遠くで暮らす娘が商品を棚に入れる仕事をしている様子を見てきたと語ることもあるそうですが、死んで逝く人からとてつもないエネルギーが生まれると考えれば不可能なことではないのかもしれません。

f:id:goodlifejournal:20181120170838j:plain

↑「わしはもう、会いたい人には会えた」

人は200歳まで生きられるようになるという話もありますが、クリエイターの寄藤文平さんがつくった「死にカタログ」には、「200年のうち130年ぐらいがセックスレスの人生なんですね。それって、なんか、どうなんでしょうか」という言葉がありました。

老衰の場合、人はまだこの程度では死なないだろうという、頂上の手前8合目くらいで逝くのだといいますし、非人間的な状態になるまで治療を施されて生き続けるより、最後にサヨナラの旅ができるような余力のある死に方を勝利だとする医療が、高齢化社会には必要なのではないでしょうか。

在宅医療には、在宅医の質や介護の制度における問題も山積みですが、まずは私たちが医者と病院を切り離して考えることから、“いい逝き方”の学びが始まるのかもしれません。

家族を看取る―心がそばにあればいい (平凡社新書)

家族を看取る―心がそばにあればいい (平凡社新書)

  • 作者: 國森康弘
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 新書
 
日本で老いて死ぬということ 2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか

日本で老いて死ぬということ 2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか

  • 作者: 朝日新聞迫る2025ショック取材班
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2016/06/20
  • メディア: Kindle版
 
死を前にした人に あなたは何ができますか?

死を前にした人に あなたは何ができますか?

  • 作者: 小澤竹俊
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2017/08/07
  • メディア: 単行本
 
家族を看取る―心がそばにあればいい (平凡社新書)

家族を看取る―心がそばにあればいい (平凡社新書)

  • 作者: 國森康弘
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 新書
 
家族が選んだ「平穏死」 看取った家族だけが知っている本当の「幸せな逝き方」 (祥伝社黄金文庫)

家族が選んだ「平穏死」 看取った家族だけが知っている本当の「幸せな逝き方」 (祥伝社黄金文庫)

  • 作者: 長尾和宏,上村悦子
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2013/07/24
  • メディア: 文庫
 
正々堂々がんばらない介護

正々堂々がんばらない介護

  • 作者: 野原すみれ
  • 出版社/メーカー: 海と月社
  • 発売日: 2005/08/01
  • メディア: 単行本
 
看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」 (文春文庫)

看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」 (文春文庫)

  • 作者: 奥野修司
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/02/12
  • メディア: Kindle版
 
死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)

  • 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: 文庫
 
不孝者の父母考

不孝者の父母考

  • 作者: 勢古浩爾
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2013/04/23
  • メディア: 単行本
 
下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書)

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書)

  • 作者: 藤田孝典
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2015/06/12
  • メディア: 新書
 
「大病院信仰」どこまで続けますか

「大病院信仰」どこまで続けますか

  • 作者: 長尾和宏
  • 出版社/メーカー: 主婦の友社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
破綻からの奇蹟: 〜いま夕張市民から学ぶこと〜 これからの日本の医療・介護の話をしようシリーズ

破綻からの奇蹟: 〜いま夕張市民から学ぶこと〜 これからの日本の医療・介護の話をしようシリーズ

  • 作者: 森田洋之
  • 出版社/メーカー: 南日本ヘルスリサーチラボ
  • 発売日: 2015/09/14
  • メディア: Kindle版
 
ケアのカリスマたち――看取りを支えるプロフェッショナル

ケアのカリスマたち――看取りを支えるプロフェッショナル

  • 作者: 上野千鶴子
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2015/03/24
  • メディア: 単行本
 
死にカタログ

死にカタログ

  • 作者: 寄藤文平
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2005/12/15
  • メディア: 単行本
 
生きかた上手 新訂版

生きかた上手 新訂版

  • 作者: 日野原重明
  • 出版社/メーカー: ハルメク
  • 発売日: 2013/04/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)