一般社団法人ペットフード協会の調査によると、2016年の日本国内での犬の飼育頭数は987万8,000頭、猫の飼育頭数は984万7,000頭と、犬猫合わせると1,972万5,000頭にも上ります。
このペットブームは、高度経済成長期を経て経済的なゆとりが生まれたことが始まりと考えられていて、これに拍車をかけたのが日本を悩ます問題の一つでもある少子化でした。
2016年の子ども (15歳未満の男女)の数は1,605万人となっており、子どもの数よリペットの数の方が多い日本は、今や「ペット王国」といっても過言ではなく、ペット産業・ペットビジネスはますます拡大を続けています。
↑現代の日本ではペットが子どもの代わりを果たしている
その一方で、毎年信じられないほど多くの犬たちが“処分”されているのも事実で、環境省の調査によれば、2016年に殺処分された犬の数は10,424匹と、1日あたり30匹近くが殺処分されているそうです。
10年前の11万3000匹に比べればかなり減っていることは確かですが、どれだけ縮小しようと“大量虐殺”には違いなく、可愛い犬を手にする前に、まず私たちはこういった“大量虐殺”が起きている現実を把握しなければなりません。
↑「ペット大国」日本の裏側で起きているのは犬たちへの無意味な殺処分
動物愛護団体が全国の保健所や動物愛護センターで、飼い主が殺処分を決めた理由についてアンケート調査を行ったところ、「犬が年をとったから」「引っ越しをするから」が上位を占め、中には海外旅行に行くためにペットホテルに預けるお金がもったいないからと、信じられない理由で殺処分を決める飼い主もいたと言います。
どの家庭でも犬を迎え入れたばかりの頃は大切に可愛がっていたはずなのにも関わらず、自分たちの都合が悪くなれば犬を保健所に連れて行ったり、捨てたりしているのが現実で、皮肉にも、殺処分される犬たちの敵は「犬嫌い」の人ではなく「犬好き」の人たちなのです。
↑殺処分に加担しているのは愛犬家たち
さらに、買い手はできるだけ幼い子犬を求めるため、ペットショップでは積極的に子犬を仕入れていますが、生後6ヶ月にもなってしまえば価値のない“売れ残り”と見なされてしまい、売れ残りの動物たちに費やすエサ代や医療費がもったいないからと、売れ残った犬は容赦なく保健所へ送られ処分されています。
劣悪なペットショップによっては、売れない子犬を生きたままポリ袋に入れた後、冷蔵庫で“寝かせ”、死んだら普通の燃えるゴミと一緒に捨ててしまうケースもあると言いますから、売り手側にとって犬たちの命はただの“金儲けの道具”に過ぎないのでしょう。
↑犬を「オモチャ」と考える日本人と犬を「パートナー」と考えるドイツ人
現代では人間の欲望を満たすだけの存在になってしまっている犬ですが、かつては狩猟の際に獲物を追い込むなど人間のサポーターとしての“仕事”を担っており、犬は人間の暮らしには欠かせないパートナーと考えられていました。
縄文時代をさかのぼってみても、犬以外の動物は頭や肋骨がバラバラの状態で出てくる一方で、犬は一体まるごと丁寧に埋葬されており、中には人間と同じ墓から出てくる犬もいて、人間と犬の関係が特別だったことが伺えます。
確かに、昔の日本でも多くの犬を殺してきた事実はありますが、そこには「食料とするため」「狂犬病で危険だから」などの明確な理由がありました。食料が満ち足り、狂犬病の危険も少なくなってきている現代の日本社会で起きている無意味な殺処分とは違っていたのです。
↑狩りをする必要がなくなった現代では、犬の存在価値も低くなってしまったのだろうか
ドキュメンタリー映画監督の森達也さんは殺処分の問題について、今の日本人はペットをパートナーではなく、“モノ”としてしか見ていないがために起きているのではないかと指摘し、テレビ番組で次のように述べていました。
日本では『愛玩動物』って言いますよね。要するに愛する玩具、『おもちゃ』なわけですよ。でも英語圏では『コンパニオンアニマル(伴侶動物)』ですから、言葉尻を捉えるわけではないけど、やっぱりどっかで根本的に発想が、犬や猫に対しての、動物に対しての意識が違うのかなって気がしますね。
↑“伴侶”である犬は人の生活空間に溶け込んでいる
ペットに優しい国として知られるドイツには多くの動物愛護団体が存在しており、その数は700団体にも上ります。ドイツの街中では多くの犬が闊歩し、電車やバスなどの公共交通機関のみならず、カフェや高級レストランにも出入りが可能です。
と言うのも、ドイツの犬は公共の場で行儀よく振る舞えるようにしつけがしっかりなされているためで、決して義務化されているわけではないものの、ドイツの人々は犬のしつけは飼い主の一種の責任と考え、多くの人が犬を「しつけの学校」に入学させています。
この「しつけの学校」は生後8週間から1年半頃までかかると言いますが、正しい振る舞いを学ぶことで街中での犬同士のケンカや無駄吠えがなくなるため、ドイツでは犬のしつけは必要事項として考えられているのです。
賃貸住宅の広告に「犬はOK、子供は不可」という文面も見かけるほど、ドイツでは犬がこんなにも人間と同じ生活空間で快適に暮らすことができるのは、しつけ以外にも犬に関する法律が定められていることが関係しています。
↑ドイツの犬は日本の子どもより幸せかもしれない
およそ200年前の1837年、ドイツ動物愛護の父と呼ばれるアルバート・クナップという一人の牧師が、聖書の教えを元に「動物は単なる人間の所有物ではない、人間と同じ痛みを感じる存在である」と唱え、捨てられたり、虐待されたりしている動物たちを保護するための施設をベルリンに作りました。
アルバート・クナップ牧師の教えは次世代にも引き継がれていき、戦時中には人間とは別に動物のエサが配給されるまでになっていたそうで、1974年には犬の保護に関する規則が条例で定められ、2002年には動物保護の文言が憲法に書き加えられたりと、動物保護への取り組みがドイツ国民に定着していったのです。
何より、動物保護を政策の中心に置く「動物保護党」が1993年に結成されていることからも分かるように、国を率いる人々が積極的に動物保護に取り組んでいることが、動物を守るという意識をドイツ国民に根付かせていきました。
↑犬だって立派な“ドイツ国民”
法律では犬の大きさや種類によって檻のサイズは決められていますし、鎖で繋いでおくときの長さや散歩時のリードの長さも細かく定められ、外の気温が21度以上の時は「車の中に犬を置き去りにしてはいけない」というルールもあるほどです。
真夏の暑い日に子どもを車中に置き去りにしてパチンコに没頭する日本の親たちは、ドイツ人にとって信じがたい存在であることは間違いないでしょう。
このように国を挙げて犬を守る体制が整っていますから、当然ドイツでは殺処分は禁止されていて、例えば、不治の病で激しい痛みを持っているなどの合理的な理由がある場合のみ、安楽死が認められています。
「犬と子どもはドイツ人に育てさせろ」という言葉がありますが、日本とドイツのこの現状を比較すれば、私たち日本人はこの言葉に深く頷くことしかできません。
↑犬と子どもはドイツ人に育てさせろ
それでも、飼い主が亡くなってしまうことや、どうしても犬を飼うことができなくなる人もいて、その場合は「ティアハイム」と呼ばれる動物保護施設に犬を連れていきます。
ドイツ全国に600箇所ほど点在し、民間の動物保護協会が運営しているこの「ティアハイム」は、日本のように動物保護施設との名前を持ちながら殺処分をする場所なんかではなく、新しい飼い主が見つかるまでのれっきとした「犬の仮住まい」です。
ドイツでは犬を飼いたいと考える人がまず訪れるのもティアハイムで、先にも述べたように、犬の大きさや種類によってケージのサイズが決められているなど細かい規則があるドイツですから、ペットショップで動物を販売する際にも同じような細かい規則に従わなければなりません。
実際、すべての条件を満たすことのできるペットショップは少なく、街中でペットショップを見かけることはほとんどないと言います。
↑ドイツの街で見かける犬は、ティアハイムで保護されていた犬たち
その結果、犬を飼いたい人はティアハイムに向かうため、保護された動物たちの9割以上が新しい飼い主の元に引き取られていくのです。しかし、この引き取りの際にも、新しい飼い主に対するドイツ式の厳しい審査が待ち受けています。
例えば、「1日に8時間以上仕事で家を留守にしないか」「家族の中で動物が嫌いな人がいないか」といったことから、家族構成や住居環境に関することにまで質問は続き、8時間以上家に誰もいない環境や、家族の中で動物嫌いな人が1人でもいる家庭の場合は引き取りが許可されず、こうした厳しい審査も動物保護の一端を担っているのです。
↑責任と能力がなければ犬を飼うことが許されないドイツ
審査に通った後も、飼い主に対しては日本円にして年間2万円前後の「犬の税金」の支払いが義務付けられており、気軽に犬を飼わないための抑止効果になっています。もともとドイツは“税金大国”と言われているほど税率が高く、その上、犬の税金までかかってくるとなれば、犬の引き取りを諦める人が出てくるのは容易に想像できるでしょう。
日本では飲み屋街に深夜まで営業しているペットショップがあり、お酒で酔った人が勢いで犬を購入してしまったりなど、一部では「犬の衝動買いを促している」と批判されていますが、なんの審査もなく気軽に犬を購入できてしまうことが“気軽な殺処分”につながっているのです。
↑日本人にとって犬を買うことは、犬のぬいぐるみを買うことと変わりないのかもしれない
そんな日本でも動物愛護法は制定されていて、初めて動物愛護管理法という名で成立したのは1973年のことでした。ドイツでは1933年に動物保護法が、イギリスでは1911年に動物保護法、そしてアメリカでは1966年に動物福祉法が制定されていて、日本がいかに動物愛護政策に関して遅れを取ってきたかがわかります。
衣食住が満ち足りて豊かな生活を送れているにも関わらず、日本ではより多くのお金を得ようと犬を利用したビジネスが盛んに行われており、これが私たちが「犬は人間の所有物」と認識している何よりの証拠で、欧米と比べて日本が動物保護の取り組みに対して遅れを取ってきた原因なのです。
↑幸せな社会とは犬が人間と同じように街中を闊歩できる社会
生前、人と動物の絆に関する研究を続けていたワシントン州立大学獣医学部のレオ・ビュースタット博士は、人間と動物が快適に共生できる環境こそが、人間と動物の両方にとって健康な社会であるとし、次のように述べていました。
私たちの周囲にある植物や動物は、我々の身体の一部である。もし、私たちが彼らを排除したら、それは私たち自身の一部分を破壊することになる。人は生涯、健康でいるために周囲の植物や動物とかかわり合い、接し合わなければならない。人と動植物との強い結びつきは、健康な社会のために重要なことなのだ。
↑動物が安心して暮らせる環境が、人間にとっても快適な環境なのだ
冒頭でも述べたように、犬は人が狩りを行う際のサポート役として、また夜間の見張り役として日々の暮らしの中で活躍し、私たちの祖先は彼らをパートナーや家族として大切に思っていたため、犬の命が無駄になることは一切ありませんでした。
だからこそ、人間と一緒に埋葬されていたのは犬以外の動物では発見されていません。人間と犬が見事なまでに共生していた縄文時代のような暮らしこそが、今私たちが作らなければならない社会なのです。
犬を含めた動植物への態度は、そのまま人間同士の関係に影響を及ぼしているのかもしれず、最近では動物虐待が子どもへの虐待などに密に関連していることが分かってきていますが、子どもへの虐待があった家庭を調査してみると、その6割に動物虐待行為があったという統計が出ています。
実際、「世話に手間がかかるため放置した」や「友人と買い物へ行きたいから放置した」などの理由で自分の子供を死に追いやったニュースが後を絶たず、犬の殺処分を決める理由と比較しても大した違いがないことに驚きを隠せません。
↑動物の命を大切にできない人は、自分の命すら大切にできないだろう
今日も、欲しいと思って買われたはずの犬が「もう要らない」というあまりにも身勝手な理由で処分されています。命よりも欲望が優先される世の中は“異常”という言葉以外でどのように表現できるでしょうか。
確かに、欲しいと思ったものを好きな時に購入できる現代は日本が目指していた社会の姿だったかもしれませんが、それと同時に、何でもかんでもお金で片付けようとする現代人の姿も垣間見え、世の中にはお金で片付けてはいけないことがあるということが完全に忘れ去られているように感じます。
現代人にとって可愛いからペットショップで犬を買うという行為は、お腹が空いたからコンビニでおにぎりを買うという行為とそう変わらないのかもしれず、犬は人間の欲望を満たすモノではないことを認識し、もう一度「犬と人とが平等な社会」を実現するためにも、まず私たちは、犬は“可愛い”の一言で済ませられるものではないことを知らなければなりません。