「田舎には何もない」と言われていたのはちょっと前までの話で、地方にも続々と大型スーパーにコンビ二、ドラッグストアやファミレスなどが進出するようになり、どこに行っても見慣れた品物やメニューは、日本の田舎をファーストフードのように単調な「ファスト風土」化へと向かわせています。
昔ながらの「何もない」ような田舎が残っているのは企業の手が届きにくい僻地のようなところだけですが、そういう田舎に長く暮らしている人に話を聞くと、「この町は独立しても、困らないだろうねぇ」とこぼすほどに満足した生活をしており、何が田舎を「何もない」と言わせてきたのだろうと思わずにいられません。
↑スーパーがなくたって、米は出荷できるくらいに採れるし、塩だって作れるという暮らしもある
日本の企業が地方のファスト風土化にいそしむように、地球の裏側にあるアマゾンでは、ダイヤモンドをあさる人たちや輸入作物を作る農場主などの文明人たちが、旧石器時代から命を繋いできたインディオの土地をこの数十年で様変わりさせました。
彼らの集落を封鎖して暮らしを守っている「国立インディオ基金」のリーダー、シドニー・ポスエロ氏は、自分が活動を続けてきた意義は正義とか人道にあるのではなく、インディオが喜んだり笑ったり自然な状態にあることの美しさを守ることにあるとしています。
↑近年、文明人の行うことは明らかに度を越えている
ポスエロ氏は、文明と接触したインディオは「モノを得る代わりに笑顔を失う」と述べており、富や権力という価値観を持たず、動物や自然、そして死者など、天と地のすべてと一体となってつながることができる、インディオの存在がどんどん危うくなっていることについて次のように思いを巡らせていました。
「絶滅を先延ばしにすることでインディオに時間を与えているのではない。私たちがインディオから時間をもらっているのだ。時間、つまり私たちが彼らに対してこの500年のあいだにどんなことをしてきたのかを考えるための時間をだ。」
↑ブラジルでこの500年の間に失われたインディオの人口は95パーセント近くにのぼる
ある囚人は出獄後にサンフランシスコの街を見て、急ぎ足であちこちへ行く人々が奇妙で、たくさんの見知らぬ顔があるのに閉口したと言い、長い時間を塀の中ですごした囚人たちは、刑期を終えて都会に出ると目まいがしたり病気になったりするそうです。
「リンゴ一つに虫一匹」というように、動物の生息密度がその体重によってだいたい決まっていて、体重60kgの哺乳類の密度は1平方キロメートルあたり1.44となるそうですが、それを単純に東京の人口密度で考えてみれば、東京では体重から予測される密度の4,300倍以上も過密した状態で人々は暮らしていることになり、本当であればこの密度で暮らせる哺乳類は、小さなハツカネズミくらいのものということになります。
↑一度に大量の人がいる状態を、脳は素直に受け入れられない
生物として不自然なほど過密した状態で生きるようになった人たちは、まわりを気にしないように次第に感覚を麻痺させ、「やさしさ」を欠いていくのかもしれません。
著書「中国大停滞」で中国が長い冬に突入すると述べて話題を呼んだ田中直毅氏は、「二十世紀前半の戦争は人口余剰のせいで起こった」と主張していました。
確かに、世界の人口が10億人も増えた世界大戦のころ、ロンドンなどの産業都市は人であふれていたそうで、戦後に環境と行動について研究していた心理学者ロバート・ソマー氏は、イギリスの研究者が、「人の多いこの島で生き延びるために、私たちは互いに無関心でいなければならない」と、自分たちの冷淡さについて話していたエピソードを記しています。
↑満員電車の空間はきっと虫くらい小さいサイズにならないと適さない
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン氏はブレークした当時、「時代の代弁者だ」ともてはやされたのを自分には関係のないことだと話していて、自分はただフォークソングという昔から受け継がれてきた歌をやってきたのであり、誰かの考えを叫んだつもりはないと自伝の中でこう断言していました。
「わたしはものごとをシンプルに直感的にとらえる人間であり、地方の農業祭で見られるような話の進め方を好む。論争好きな人たちの病的とも思える長ったらしいやりとりは、得意じゃない。まったく楽しくない。」
そんな自分に周りが熱狂したのはディラン氏にとって想定外だったのかもしれませんが、「どれだけ遠くまで歩けば、大人になれるの?」「どれだけニュースを見てたら、平和な日がくるの?」と問いかけ、「その答えは風の中さ」と答える彼への支持が大きかったのは、人々が頭の中にその答えを探そうとして見つからなかったことを証明しているようにも思えます。
↑「古いニュースのほうが好きだ。新しいニュースは悪いニュースばかりだ」ボブ・ディラン
社会性を持つ動物は相手の脳と自分の脳が同じように動く共感力を持っているため、「共鳴」のような仕組みで人はお互いを理解しあうのだそうで、オリジナリティとは新しい共感を発見することでもあるのだそうです。
しかしながら、感覚的なことよりも理屈を言ったもの勝ちなのが都会のあり方で、作曲家の久石譲氏の対談本「耳で考える 脳は名曲を欲する」で養老孟司は、この社会の悪い癖は、現実をおいて言葉のほうを優先してしまっているところだとして、次のように述べました。
「言葉にならないことは、『ないこと』になってしまうんです。そうした中で、かろうじて絵とか音楽とか、いわゆる芸術といわれるものが、言葉にならないものとして踏みとどまっている。」
↑田舎は本当に「何もない」ところだったのだろうか
動物や虫たちは、人間よりもはるかに早い段階で周囲の変化を感じ取るもので、水俣病においても、人間が発病する数年前から、ネコが突然飛び上がり、もがき苦しみ、海に身投げして死んでいく様子などの異常が見られていました。
人にも症状が見られるようになったころ、ある医師が工場排水との因果関係を確認するために猫に工場排水を飲ませ、猫が水俣病を発病したのにもかかわらず、企業は医師の研究を中止させ、数年もの間それを「ないこと」にして公表していなかったのです。
↑言葉にしないことは「ないこと」になる社会
「真木悠介」というペンネームで著作活動をしている東京大学名誉教授の見田宗介氏は、動物や魚に対する「平等なともだちとしての」共感がもっと存在していたなら、少なくとも人間に数千人もの水俣病患者が出ることは防げたかもしれないと述べていました。
そういう「やさしさ」が優先するかどうかで人の目に見える景色が違うことを示し、水俣病の補償金をめぐる交渉でも、ある患者から次のような発言があったことが記されています。
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。それでよか。」
↑仕事仕事と言っているうちに、いつの間にか失ってしまったものはどれくらいあるだろう
理学博士の藤井康夫氏が、40年近く前に書いた「創造型人間は音楽脳で考える」という本では、理論などが得意な“言語脳”を麻痺させると人は幸せを感じ、情緒や感覚を扱う“音楽脳”を麻痺させると悲観的になるとあり、当時膨らみ始めていた働き盛り世代の自殺率の高さにも触れていた藤井氏は、昨今の「仕事の鬼」につながる命の問題を予測していたように思えます。
音楽家はドラマチックな人生を送るイメージがあるものの、実際は長寿が多く、死ぬその日まで仕事をしようとするような“理想的長寿”が多いことが示されていて、かの手塚治虫の最後の一言も「頼むから仕事をさせてくれ」だったことはよく知られているエピソードです。
↑手塚治虫は、〆切に追われて行方をくらまし、徳島で阿波踊りを踊っていたこともあった
藤井氏は、音楽脳が優位な人は自分を傷つけることができないと同時に、他人を傷つけることなど絶対できないような脳のプログラムを持っているからだと述べています。
そして21世紀に入ってから、この分野に関する科学的な研究は本格化し、ここ数年の間に私たちが理屈で蓋をしがちな感覚を呼び覚ますだけで解決してしまうことが予想以上に多いことが急速にわかってきて、一般にも応用されるようになりつつあります。
たとえば、オーストリアにあるパラケルスス医科大学の研究では、音楽を用いた治療により、うつ病患者の89パーセントに症状の軽減が見られたという結果が出ていて、それを発端として設立された「音楽薬局」は、うつ病のほかにも、痛みや不安、そして高血圧などの幅広い症状に対し、いわゆる“薬”ではなく音楽の処方ができるということです。
↑楽器を弾くおじいさんが世界共通で楽しそうなのは偶然ではない
伝統的な民族音楽は曲の終わりが決まっておらず、民族たちの中に暮らすシャーマンは、遠くに見える動物や雲など動いている自然から感じたままに歌っているため、同じフレーズを繰り返すことはなく、人々の感性が鳴らすままに音楽が存在しています。
そんな人たちの住むボツワナを訪れた世界的チェリストのヨー・ヨー・マは、人々にコンサートの案内をしようとしても「なんで音楽のために待たなくてはいけないんだ?」「なんで音楽のために場所を移動しなければならないんだ?」と、理解されなかったそうです。
元任天堂のディレクター玉樹真一郎氏は、八戸にUターンして起業してから、「『何言ってるかわかんねぇ』と言われるから、鍛えられます」と語っていますし、古今東西、オン・オフで感覚を切り替えることをしないでいられる暮らしのあるところでは、理屈の力は無いも同然なのでしょう。
↑都会の人はどこかずれているというのが田舎では当たり前
精神科医の森川すいめい氏は、自殺率のきわめて低い「自殺希少地域」として知られている徳島県の旧海部町を訪れた際、歯痛で困っていることを町の人に話すと、その日町の歯医者は休診だったのに、起こしてきてやろうとか、それを断ると今度は82キロ先の歯医者まで送っていこうなど声をかけられたそうです。
旧海部町に暮らす人たちの、困っている人に素直に反応して行動する共感力が、そういう感覚をないものとせずには生きていけない都会の人にとって「並外れている」ものになってしまっているのには、不穏な気配を感じざるをえません。
かつて手塚治虫は、地方出身のアシスタントたちを集めて次のように告げていたそうです。
「君たちは、かつて地方にいて漫画家を目指し、そして今ここにいるわけだが、実際に原稿をやりとりする製作の流れの中に身をおいていると、いつのまにか自分もその世界の一人として安住してしまう。絶対にそれだけは避けてほしい。」
↑「いちばんのライバルは、地方にいる漫画家予備軍だ」手塚治虫
都会が生活の基盤になっている人々にとって、コンビニやドラッグストアなどは欠かせないツールで、そういう人たちの習慣を頼りに郊外や地方を企業の色に染めていけなくはないでしょうし、「長生きするなら長く働け」というこの時代、そういった企業が地方にも労働を与えるという見方もあるでしょう。
けれど、いつかその人たちも、密集から離れて適度な生息空間で長い時間を過ごすようになったとき、本当はずっと言いたかった「何言っているかわかんねぇ」という感覚が次第に表に出てきて、「やさしさ」を取り戻すように思えてなりません。